東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『帰れない二人』

18日(水)。久しぶりに仕事終わりにプールへ行く。前回は何往復泳いでもへっちゃらだったのだけど、今回は少し泳いだだけでなんだか苦しく、身体も重い。周りで泳いでる人に迷惑をかけないように泳いだり、歩いたり。なぜこれだけ身体が重いのかよくわからない。プールから出たら、なおさら疲れがどっと出る。少し外は雨が降って肌寒いくらいだった。

 19日(木)。仕事終わりに新宿の武蔵野館へ。少し遅い時間から、ジャ・ジャンク―の『帰れない二人』が上映されていたので、それを観に行く。驚いたのは、武蔵野館がリニューアルされていてとてもきれいになっていたこと。それはさておき。

 男と女がいて、その間の距離はどのように測れるのだろう。物理的な距離の遠さについては、宣伝文句で謳われていたけれど、映画を観ていると、そういう具体的な距離感はそれほど感じない。映画にはさまざまな乗り物が出てきた。車や電車はもちろん。電車も新幹線から鈍行がでてくるし、バイクやフェリーも出てくれば、車いすも出てくる。馬もでてくるし、挙句の果てには未確認飛行物体までもが登場する。コミカルな描かれ方もするけれど、そういった乗り物の登場は、映画に動きをもたらしてくれるように見えた。物理的な距離はわからないけれど、彼ら二人の間は常に運動状態にあるように思える。そして、時間が移り変わっていくこともまたある種の運動の役割をもたらして映画を常に動かしているように思えた。女性の主人公は髪型の変化などでその経過が伺えたが、男性のそれは髭だったのかもしれないが、特に男性はなんというか本当に時間をかけて撮影をしたのかと思えるような変化をしているように思えて、二人の関係は不可逆的に前にしか進まないということを感じる。

 なぜ、最後に男は出ていくのか、その真意はうかがい知れないけれど、かつては自分に居場所があったその場所に、もはや自分の居場所はないと悟った男の決断なのだろうなぁと思い、その場に置いていかれた女を捉える防犯カメラに映し出された、壁にもたれる女性の、モニター越しの荒い立ち姿の切なさは、交わらない二人の運命を感じさせて、ただただどうしようもなく、見つめるしかなくなってくる。