東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『奈良原一高さん/早稲田通りを歩く』

福岡から戻って、土曜も仕事がいろいろあり、家に帰ってからあっというまに就寝。日曜の朝、8時頃に一度目を覚まし、習い事に行く娘と嫁を送りだしてから、また布団へ。そして再び速攻で眠り、目が覚めたら13時をまわっていた。だいぶ寝たけど、それでようやく復活した気分になる。

掃除機をかけてから、昼ご飯を食べて、出かける。どうやら雨が降ったあとのようで、空気はひんやりしていたけど、気持ちが良い。東池袋から麹町へ行き、そこから半蔵門のJCⅡフォトサロンへ行く。奈良原一高さんの『人間の土地/王国 Domains』展を観る。勉強不足だったのだけど、僕は奈良原さんのことを知らず、先日、お亡くなりになったニュースを知ってその存在を知り、写真が気になり出かけた。モノクロの写真は、canonⅣsbというカメラで24×36ミリのレンズで撮影をされたようで、縦使い、横使いはそれぞれだけど、写真のサイズはどれも統一されていて整った印象を受ける。静謐でいて、時代は違えどとても同じ日本とは思えない場所のように思える。奈良原さん自身が語っている言葉がとても印象的。

何時の場合でもそうであるが、私は結論やまことしやかな断定を与えない。私の場合、作品とは投げ出されるものだ。私は撮影に当たつて決して自分を限定しない。つくりをねらうことはしない。ひたすら見者たらんとする。

奈良原一高「現代写真作家十二人集・3 撮影ノート」

 

この言葉の通り、見者として奈良原さんはそれぞれの土地にいたとして、並んでいる写真は奈良原さんがその場で偶然出会った場面を切り取ったのだと思うけれど、それでも奈良原さんがカメラを通して見つめた風景、その切り取り方は、大げさに言えば、畏怖のようなものを感じさせる凄みがあると思う。

そういったわけで刺激を受けつつ、ギャラリーを出る。日曜の夕方の半蔵門周辺は人もまばらで、静か。日が沈みかけて少しずつ肌寒くなってくる。なんとなく道を歩いていると靖国通りに出たので、靖国神社へ行ってみる。残念ながらすでに神社は閉まってしまっている時間だったのだけど、鳥居は入口がやけにでかくて驚く。以前に来た時はあまり気にしなかった。で、この時、気づいたのだけど、靖国神社の入り口のところが早稲田通りの始まりだった。目の前は皇居。ここから早稲田通りは始まっていたのか。それで早稲田通りを歩いてみようと思い、歩き始めると、飯田橋駅までたどり着き、神楽坂へと続く。ここでも初めて気づいたのだけど、この有名な神楽坂の通りが、そもそも早稲田通りだった。まったく知らなかった。で、この神楽坂の通りをまっすぐ進むと、やがて、東西線神楽坂駅を通り越して、早稲田方面へ向かう。まぁ、早稲田へ行くのは当たり前なのだけど、まさかその始まりが靖国神社の真ん前で、神楽坂を通る道だったとは。こういう風に通りの始まりから歩いてみると、また違った見え方がしてくるのかもしれない。

神楽坂で、好きな本屋「かもめブックス」に立ち寄り、物色。それで、向かいの喫茶店で仕事をしたり、本を読んだり、奈良原一高さんの図録を眺めたりする。

20時過ぎに喫茶店を出て、早稲田方面へ向かう早稲田通りに別れを告げ、僕は江戸川橋方面へ。買い物をして家まで歩いて帰る。少し早歩きをすると身体が暖かくなってきた。

今日は少しばかりゆっくり。インプットもできて、再発見もあり、充実した一日。