東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ソール・ライター展』

朝、車で仕事。風が強く、寒さも厳しい。久しぶりに本格的な冬の感覚。

千葉の幕張あたりに行く。用件が落ち着くと、少しだけ近くの海に寄る。海が好きなのである。いつも車を停めているスペースが、元々無料だったのだけど、30分以上停めると有料になってしまった。まぁ、仕方がないかと思う。

海。風が冷たい。雲が無く、蒼い。ランニングする人や犬の散歩をしてる人、サッカーをする子供たちがいる。カモメが群れでまとまっている。常々不思議なのだけど、鳥は水に浮かんでる時は冷たく感じないのだろうか。

ぼんやりするには風が強すぎて、しばらくしてから帰路へ。

それから時間があってので、渋谷へ。観たかった『ソール・ライター展』へ。休みの日だからか、人がたくさんいて、少しばかり辟易。でも、写真は刺激を受けるものばかり。

徹底的に『観る』ことに徹する。そして『観る』ことを愉しむ。商業的なカメラマンとしても評価を得ていたにも関わらず「私の人生は使われなかった機会ばかりだった。」と自身が語るように、いわゆる商業的な世界を自分から退く。ニューヨークの街中で、ひたすら自分の好きな風景を『観て』、それを写真に撮る。モノクロの写真も、カラーの写真も、どれを観ても、その場所、その瞬間に出会ったものを切り取り、それらが、ソール・ライターの唯一無二の写真になっていると思う。タイトルの付け方もとても簡素。狙ったものではなく、後からとりあえずつけたような感じもまた人柄が出ているように思う。

「神秘的なことは、馴染み深いところで起きる。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ。」

この言葉もまた、ソール・ライターの写真を撮るうえでの意識を表してる。

そして、いわゆる街へ出て撮る写真とは別に、自身や妹さんのポートレートや、スニペットと言われる知り合いたちを撮った名刺サイズの写真がある。現像した後に、自分でちぎって名刺サイズにしている。そういった遊び心を大切にしていたこともまた、商業やアートとしの側面ではなく、自分の撮りたいものを撮るという考えなのだろうなぁと思う。

「世界は他人への期待で満ちている。
期待を無視する勇気があれば、面倒を楽しむこともできる」

嗚呼、なんて刺激的な写真と言葉なんだろう。とても充実した気持ちになり、外へ出る。すぐに影響を受ける僕は、自分なりにいろいろ写真を撮ってみようとするけれど、そうはうまくはいかない。

夕方。一度家に帰る。陽射しがまだギリギリ部屋の中にも残っている。布団をかけて横になったらすぐに寝てしまった。小一時間で目覚める。

夜、娘と嫁と池袋へご飯を食べにでかける。ご飯を食べた後の帰り道、娘の中でブームになっている「ピーナッツ」ゲームをする。数字の5のつく数と、ゾロ目の時に「ピーナッツ」と言うゲーム。最初は慣れなかったけど、回数を重ねるうちに慣れてきた。こういうゲームは遠慮せずに本気でやる。帰り道、風は冷たかったけど、月は綺麗だった。