東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『雨上がりの夕暮れ』

家の近くに、もともと学校だった敷地を利用した公園ができた。まだ芝生の養生もあったりコロナの影響で全面オープンというわけではないけれど、ベンチに座ってぼんやりすると気持ち良い。こういったご時世で、仕事も少しばかり在宅になるのだけれど、電話で話をすることもあり、そういう時、家の中で話すよりも、外で話したい性格で、公園にパソコンを持ってでかけて、少しばかり作業をしたり、電話をしたりする。晴れていると、暖かいし、新緑の木々が風に揺れているのを眺めるのも楽しい。そういった居心地のいい公園なので、ご年配の方から、子連れ、ペットを連れた人も見かける。まぁ、不要不急の外出は避けるように、という指示はあるし、僕もできる限り、出かけるのは控えつつも、いわゆる三密ではない公園で人と距離をおいて少しいる分には、迷惑はかけないかなぁと思ってしまったりする。もちろん、そういった考えが連鎖することで、感染が拡大してしまうのかもしれないが。いろいろと難しい。

そういえば、公園で仕事をしていたところ、自転車に乗ってきた子供たちに「おじさんおじさん、黒い服の男の子みた!?」と元気に問いかけられた。微笑ましいなぁと思いつつ、「おじさん」を連呼されたわけだけど、まぁ、おじさんであることは事実なので、「違う」ともいえず。

仕事でzoomというアプリを使った映像ミーティングなどを行うこともでてきた。これまでもあったアプリだろうが、僕はまったく知らず、ここ最近になって知った。人によっては打合せだけではなく、こういったアプリを使ったオンライン飲み会などをする人もいるという。いろいろ変わりつつある。

今日(18日)は、天気予報で大雨が降るといわれており、日中はおとなしく自宅で仕事をしたりしていた。確かにちょっとばかり強い雨が降ったけれど、ニュースで声を大にしていたほど大げさな雨ではなかったように思う。もちろん地域によって違うのかもしれないけれど。まぁ、大事に至らないことを感謝すべきというのはわかるけれど、例えばコロナにしても、昨今だと、台風とか地震とかでも、なんというか、ここ最近は「先だし」で発信しておくことが主流になってきている。繰り返しだけど、もちろんそれは大切なのかもしれないし、そういった事前の予防によって守られる何かもあるんだろうけれど、なんだか、とりあえず「先に言っておきました」感があるのも気になる。まぁ、それは例えば契約ごととか、テレビなどのテロップとかもそうだけど。なんというか、すこしばかり、そういったことが気持ち悪いような気もするし、言ってないことに対して責める姿勢があるからこそ予防があるのだろうけれど、その責める感じも気持ち悪い。うーん、まぁ、なんとも言えないことなのだけれども、もう少し、双方、穏やかに受け入れられないのかなぁと思ってしまう。

今朝、起きて御飯の準備をしていると、娘が起きてきてあまり眠れなかったという。理由をきくと、怖い夢をみたとのこと。僕ら家族がいるところに、和洋問わず多くの妖怪やお化けがでてきて、やたらと僕らを食べるのだという。怖い夢だなぁ。食べられるのはかなわないよ。

ご飯を食べた後、雨が降る外を気にしつつ、仕事をしていた。娘は昨夜放送されていた「コナン」の映画を録画したやつを観て、それから僕の部屋にある漫画を読み始めた。なぜか『思い出のアルバム』を鼻歌でうたいながら。なぜその曲なのか聴いたら、なんとなく、という。

15時過ぎごろ、雨が止み、晴れ間がでてきた。窓をあけていると、猫たちが外に興味津々という体で、窓際へ行く。それから少しばかり仕事で新宿へ。驚くほど人がいない。さすがに緊急事態宣言の影響がある。飲食店も軒並みしまっているか、多少開いているとしても19時閉店などの案内があり、デリバリーします、といった案内が貼ってあったりする。まったく、いろいろなところでいろいろなものが停滞している。新宿みたいな街が、土曜にほぼ人通りがないのだから、経済的にもいろいろと停滞するのだろう。まったく不思議な光景だ。東日本大震災などで目の当たりにした自粛とはまた異なる形の自粛。やがて落ち着くだろうと、いう気持ちはあるけれど、本当に落ち着くのか。部屋やガレージの整理をしていた時、しりあがり寿さんの『ジャカランタ』と『方舟』を見つけて、なんとなく読んだ。それそれに描かれる世界の終わりが、なんというか、少しばかり現実味を帯びてきているような気もする。

ひとまず、雨上がりの新宿。雲が晴れて、夕日が差し込んできた街が、なんとも息をのむような清々しさで、それで少しだけ気分は晴れた。明日も暖かくなってくれたらなぁと思う。