東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『そして、5月に入り』

気が付けば5月に入る。振り返るとこれまでに経験したことがない4月だった。仕事が在宅を中心としたものになり、渋谷や新宿から人がずいぶんといなくなった。店は早めに閉店して、どこもかしこもUber Eatsの四角い箱を持った自転車が走る。そんなひと月が終わり、急に陽射しが強く、暑い5月になる。初夏のような陽気。個人的には心地いいけれど、そんな心地よさの中、当たり前の日常が過ごせないことの不思議について考えないわけにはいかない。

渡り切ってしまった橋のようにも思うし、完全にこのウイルスが無くなることはないと想像する以上、共生ではないけれど向き合って生活をしていくしかない気もするが、それがzoomを使用したオンラインミーティングを主流の在宅ばかりの生活だとしたら、それはどうなのだろう。

運動できなかったり、自宅にこもりっぱなしで生じるストレスというものは、何も大人に限ったことではなく、子供にもある、ということらしいが、自分が子供のころ、ストレスなんて言葉はそもそも存在せず、子供達が当たり前のように「ストレスだなぁ」と語る社会というのはどうなのだろうと思う。似たような言葉で、この前、娘の口から「トラウマ」という言葉が出たときも面食らった。どこで知ったのかと聞くと、学校で「トラウマ」と口にした同級生がいたらしく、言葉を調べたのだという。世の中は言葉であふれているなぁ。だけど、それが必ずしも幸福なのかというと疑問だ。少なくとも自分が小学4年生の世界に「ストレス」や「トラウマ」という言葉はなかったが、特に困ることもなかった。ついでに、スマホもインターネットも存在しなかった。

久しぶりに『エレニの帰郷』を観ようと思ったものの、疲れていたのか、途中で眠ってしまった。知り合いから有酸素運動が必要だ、と縄跳びを薦められてそれを昨日から始めたこともあるのかもしれない。少し跳んだだけでかなり疲れた。いかんなぁと思う。

今日は、朝、高田馬場で仕事があり、歩いて高田馬場へ向かう。朝から陽射しが強い。少し早めに着いたので、喫茶店でも入ろうと思ったけれど、考えてみるとどこもやっていない。これもまた異常なことだなと思いつつ、考えたすえ、おとめ山公園へ向かう。そこで、思いのほか家族連れがいたのはびっくりした。ステイホームはどこへいったのかと思うが、まぁ、僕が言えることではない。おとめ山公園は木々が多く、新緑が心地いい。川が流れているのだけど、そこで釣り糸を垂れてザリガニを狙っている子供とその親がたくさんいる。ベンチに座って少しばかりぼんやりする。最近はミツメというバンドの音楽に夢中だ。ミツメのHPにアップされているセッション動画のパフォーマンスが本当に素晴らしい。心地いいなぁと思う。

 

それから職場へ。ゴールデンウイーク前、いろいろと仕事をする。といっても、普段のこの時期に比べると、仕事量は圧倒的に少ない。普段はこの連休期間、いつも仕事だったが、今年はまばら。なんにせよ、早く落ち着いてほしいが、おそらく自粛期間は延長される見通し。どうなってしまうのか。こんな最中、オリンピックはもはややるべきではない。素人考えだけど、追加でかかるであろうオリンピックに費やす費用を、そのままコロナで仕事ができない人、予想以下の利益しかでない人たちの保障に使うべきだろう。オリンピックをやることで何かしらはあるのかもしれないが、そんな偏った満足よりも、目の前にある日常を如何に回復させるか、だろう。そんなことを思う日々。