東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『アフターコロナ』

自粛が明けたとはいえ、意外と電車は混んでおらず、朝の通勤もそこまでハードに混雑を感じない。で、同じように夜も、仕事終わりに帰る時、電車が混んでいるとは感じない。

どこかで見た「アフターコロナ」という文言ではないけれど、この状況が落ち着いたとしても(今のところ、まだまだ落ち着かない感じだけれども)、元に戻るというわけではなく、あくまでも変化しつつ、前に進むという形なのだなぁと思う。24時間営業していたファミリーレストランやコンビニが、こういう状況をふまえて、24時間営業を終了するというニュースを見た。それはそれで良いと思う。というか、24時間営業はやはり異常だったはず。以前にコンビニでアルバイトをしていた時、まぁ、もうずいぶん前だけど、コンビニの店長さんに聞いたとき、24時間やっていることの利益は無いときっぱり言っていた。つまり、「24時間営業している=いつでも行ける」というイメージを維持するためだけに(まぁ、もちろん他にも厳密にはあるだろうけど)やっている感はあるという。それが、やはり、そもそも異常だったはずで、おそらく社会の流れが、バブルを経て、90年代、00年代と、明らかにあらゆる利益を求める方法を追求し、ある極限に達したのだと思う。そういった異常さに気づき始めたのは東日本大震災だったろうし、その時に「日本の大転換」を中沢新一さんが語り、本を出し、僕はその文面に刺激を受けたけれど、それでも大きくは変わらなかった。福島第一原発の事故があれほど大きかったのに、原発についても結果、なんとなく流れの中で今も存在する。それはある意味で、「利益がでるならやむを得ない」という選択によるものではないか。だけど、このコロナの状況化で、その異様な「利益がでるならやむを得ない」にある種のブレーキがかかった。まぁ、というよりは、かけざるえないというか。

確実に人の動きの流れがかわった印象がある。もちろん、戻るのかもしれないけれど。東日本大震災のあと、しばらくの間、節電が叫ばれ、街がやけに暗い時期が続いた。はしゃぐことが不謹慎と思われ、意図的に人が街中で騒ぐことをやめた。しばらくしたら、もちろん、そういったことは忘れられて、元に戻った。コロナの後はどうだろうか。というか、コロナが完全に無くなる、もしくはワクチンが開発されてひとまず安心とされるまで、自粛が明けようがどうなろうが、こういった人の流れは以前のようには戻らない気がする。ならば、資本を中心とした世の中は変わらざるえない。それは都市圏に関してだけのことかもしれないけれども。これからのサービス業、外食産業、娯楽・エンターテインメント業界がどうなっていくのか、こればかりはなんともいえないけれど。ただ、行き過ぎた何かが、この状況の中で、揺り戻しというか、何かしらの帳尻を合わせるように物事が動いていくのだろう。

街中がマスクの人で溢れ、子供でさえもマスクをつけて公園で遊ぶ、という事態が、この先もしばらく続くような世界はやはり息苦しい。「はやく元に戻ってほしい」とは思うが、おそらくもう「元」には戻らないのだろう。どうなるのか。

28日。夕方、突如、雨雲が拡がり、冷たい空気が流れたと思ったら、びっくりするような夕立が降った。どしゃぶり。傘を持ってなかったので、ぼんやりと雨が止むのを待っていたら、45分ほど経ってようやく雨が止む。雲の流れが速いからなのか雲間から夕陽の光が差し込んでとても綺麗なのに雨が降っているという不思議な天気。そして、虹がかかった。虹を久しぶりに見た。

話は変わり、昨日はやけにヘリコプターかなんか、空を旋回する飛行機の音がうるさく、何かと思ったら、嫁からブルーインパルスが空を飛ぶとLINEが来た。どういったことでなのか、まぁ、調べればわかるのだけど、しかし、なんだろうなぁ、こういう状況になると、なぜ、人は一体感を求めるのか。「みんなで同じ空を見上げる」が良いことなのか。僕は偏屈なのかぁ。そういうのがちょっと気持ち悪い。それと、別にテレビで、こういったコロナ禍での寄付金などのエピソードが紹介されていて、他にも、「がんばろう」と呼び掛けて、#でつながる動画などを紹介していたが、それはそれで良い話だなぁと思ったけれど、ナレーションで「世界が一つになる」みたいな良い方をしていて、やはり同様にうーん、と思った。なんだろうなぁ、なぜ、一つになりたがるのかなぁ。個人的には、世界は、圧倒的に、他者同士で存在している。言葉も文化も違うし、環境が違えば、そもそもやはり生き方は変わるだろう。それぞれがお互いを尊重し、いい意味で、互いに距離をおいて、生きていくことが望ましいと思う身なので、一つになるのはご免被るのだ。まぁ、個人的な考えなのだけれども。