東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母の検査』

17日。朝5時半に起きて、出かける準備。幸いなのは、寒さをそこまで感じないこと。いろいろ準備をして、家を出る。雲一つなく、とても良い天気。雑司ヶ谷霊園を進むと、ラジオ体操をしている人たちがいた。朝早くから元気で良いなぁと思う。習慣になっている人たちなんだなぁと思い、横を通り過ぎると、「ごめんね通りにくくて」と言われる。

 

池袋から電車に乗り、母の入院先へ。入院中に少し検査の必要があり、近くの総合病院へ行くことになり朝早くから向かった。大宮駅からバスに乗るのだけど、何も考えずにバス停に向かうと出発したばかりで、次のバスは30分後だった。何も考えてなかったなぁと茫然とする。バスの停留所前で待っていると、学生や社会人の方など、通勤でバスを使用している人が大勢、バスに乗り込んでいた。僕は高校生までバスや電車に乗って通学したことはなかったのでそういうのを当たり前のようにしている学生は凄いなぁと思ってしまう。

 

母は先週お見舞いに行った時よりも元気になっていて、検査の際にいろいろと話をしたのだけど、入院前の元気な母とほぼ変わらなかった。まだ車椅子で、立ちあがって歩くのは難儀をするのだけど。亡くなった父のいろいろな手続き関係は大丈夫か?とこちらのことを確認できる余裕もでてきて良い傾向だと思う。

 

検査をした後、主治医の方から話があった。入院して一月が過ぎ、これから先のことについて。このまま元気でリハビリも進めば年明けには退院できるとのこと。それを聞いて安心しつつも、では、退院後どうするか、ということをリアルに考えねばならなくなった。主治医の方が言葉にする。「お母さんと相談したのですが、周りに迷惑をかけたくないから施設に入る、ということをお母さんも考えているそうです」。母は僕たちにはそういう話をしてなかったのでびっくりした。もちろん、どういう流れでそういう話になったのかはわからないが。少なくとも、母が施設で暮らすことを考えていることが少しびっくりした。といっても、では母の住む実家で暮らすとなると、1人暮らしはさせれないし、誰かが一緒に住まなければならない。僕が住んだとしても日中は仕事もあるわけだし、その間はどうするのだ、という問題も鋭く出てくる。車椅子に乗る母を押しながら、こんなことを考える時期が来たのだなぁと実感する。あまりこんなことは言いたくないが、本厄だな、とつくづく思う。

 

いろいろと話を聞き終えて、一緒に立ち会ってくれた叔母の車で大宮まで送ってもらう。朝が早かったので車中で寝てしまった。

 

大宮の喫茶店で、メールなど仕事をする。職場には行かないが、平日なのでいろいろとやらねばならないことは多い。周りはおそらく地元の学生も多い。ふと、地元ではない街でこうやって仕事をしていると、なんだか自分だけ部外者のような感覚になる。気が付けば日が暮れて、あっという間に夜になった。大宮から電車に乗って揺られながら東京へ。なんだか一日、どっと疲れた。