東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『こことここではないどこかと』

朝、母に起こされて8時半ごろ目覚める。昨晩というか早朝の深刻な感じはどこへやらで、すっかり元気になった母は、ケロッとしている。ホッとするが、こういうことが今後も続くのだろうということはある程度、意識していなければならない。

母の希望で、古くなったテレビを、新しいものに買い替えた。午前中に新しいテレビが届く。購入した電気屋の配送の人ではなく、宅配の方が持ってきてくれた。古いテレビを持っていったり、接続作業をしてもらえるか確認してみたが、案の定、そういうことはしないという。で、僕が接続作業をする。説明書をみればなんとかなる。B-CASカードというものが結局のところなんなのか、はっきりわかっているわけではないが、とりあえず説明書に従い、設定をして、テレビが観れるようになった。母の要望でワンサイズ小さいテレビを買ったのだが、「小さい見づらい」と不満を言う。無視する。で、古いテレビを回収してもらうため、家電屋の問い合わせセンターに尋ねたところ、うちが購入したサイズのテレビは、ちょうど、配送サービスが適用されないサイズだったのだという。それはそれでいいが、そんなことは事前には一つも書いてなかった。で、改めて古いテレビの回収をお願いする。電話やネット一つで手続きができるのは便利かもしれないが、結局、店頭で買うのとどっちが楽なのか良くわからない。

一息ついてから、母と買い物に行く。午前中だというのにスーパーはやけに混んでいる。昼ご飯も一緒に買うということで、僕は弁当を買い、母は焼きそばに、おいなりさん、団子を買っていた。そんなに食べるのか、まぁ、食べるのは良いことだと思いつつ。が、家に帰ってご飯を食べると、「お腹いっぱい」と言って焼きそば半分も食べずに残して、「おいなりさんと団子食べて」と言ってくる。なぜ、買った、母よ。

その後、少しテレビを観る。NHKBSの番組で、街頭インタビューを街中でするという番組。旦那さんが定年間際に癌が見つかり、亡くなってしまった方のインタビュー。まだ58歳でお亡くなりになってしまったという。こういう番組を観ると、どうしても父と比べるようになってしまった。その後、チベットの山岳に暮らす遊牧民の人たちが、伝統的な絵を学ぶことで生計を立てようとするドキュメンタリーを観る。貧しい遊牧の生活から脱するため、画を学ぶ若者たちの姿。「この生活を抜け出して、家族を楽にさせたい」と語るその人たちの姿を見ていると、なんだかやりきれない思いになる。自分の生活と同じ尺度でその人の人生を測ることはできないが、生まれの違いによって、僕と、その人が違う生き方をしていることの、その「たまたま」に途方にくれる。それとは別で、画を描くことに関して、画を教える僧侶の方の言葉が良かった。

「すべては線に宿る。線にこそ、美しさがある」。

それから、家を出る。日中の母は元気だ。「ありがとね」と玄関で見送ってくれた時は、いつもと変わらない。が、夜になるとどうなのか。

日曜はとても気持ちがよくて快晴だった。汗ばむくらい。だけど、気持ちが良い。夜に打合せがあったけど、少しだけ時間があったので、公園のような場所で少し小説の続きを読む。『JR上野駅公園口』。その主人公の生活と、58歳で癌で無くなった会社員の方と、チベットの若者の姿がなぜか重なる。癌で無くなった方は、延命することを希望せず、自宅での最期を希望したらしい。最後まで弱音を言うことなかったという、自分はそんな風にできるだろうか。チベットの若者は、遊牧民の生活をする家族が嫌で、友人たちと遊ぶ日々を送っていたという。それが絵を描くことに出会い、線に想いをこめる日々を過ごしている。

本を読んでいる横で、カップルが楽しそうに話をしていた。星野源さんと新垣結衣さんの結婚についておしゃべりをしていた。僕の前を通り過ぎた家族連れがいた。赤ちゃんを抱っこしていた女性が、「かわって」とおそらく父親であろう年配の男性に赤ちゃんを委ねた。年配の男性はその赤ちゃんを大事そうに抱っこした。「8.6あるから」と女性は言った。

風が吹いて心地いい。梅雨入り前のまだ蒸し暑さもない一日。ただ、自分の中でいろいろなことがぐるぐると巡る。小説に影響をされているのだと思うが、どこか息苦しさがある。

夜、家に帰り、筋トレをしたりストレッチをする。それで一息ついたら、いつの間にかまた眠ってしまっていた。