東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『学習発表会など』

娘の学校の学習発表会というものがあり、それを観に行く。先日からのいさかいがあり、嫁とは口を聞いておらず、朝になり、「何時に行けばいいんだよね」と聞くと「来るんだ」と言われる。入れ替え制のはずなのだが、何かしら用があるようで嫁は先に学校へ。僕は指定の時間に間に合うように向かう。

学校の前は行列。こういう行事はコロナ禍であって貴重なのだろう。「何年何組の親御さんですか?」と聞かれ、5年はともかく組がわからず茫然とする。名前を伝えて組を確認してもらい体育館へ入れる。結構な数の人。

5年生の学習発表会は音楽の披露。3曲演奏していた。楽器の演奏の練習など手分けしてがんばっているのだろうけれど、自分が小学校の頃はこういう行事に積極的ではなかった記憶がある。『アフリカンシンフォニー』を演奏していた。僕らが子供のころも演奏されていた曲。こういう曲はこの先もずっと演奏され続けるんだろうな。近くに座っていた父兄の人たちも「この曲、学生の頃に演奏していたよ」と話をしていた。個人的に興味深かったのは『身近なもので音を鳴らしてみよう』という企画で、それぞれが持ち寄った、例えば空き缶などを叩いたり振ったりすることで音を鳴らして音楽にする試みで、もちろん、単音の素朴なものではあるけれど、そういった音の重なりが音楽になっていくことはずっと昔の、まだ楽器も無い時代から発見されて、やがてそこにリズムが生まれて、音楽となっていく過程なんだろうなと思えて、何やら興味深い。

発表会を終えると、コロナ禍ということもあり、学年ごとに入れ替え制となっていて、5年生の父兄たちは退館。僕はそのまま仕事もあったので、鬼子母神大鳥神社へ寄ってお参りしてから仕事へ。鬼子母神は七五三の恰好をした子供と親御さんがたくさんいた。晴れて気持ちが良い境内。久しぶりに見上げた大公孫樹は相変わらずの存在感だった。

請求業務などこまごまと溜まった仕事をこなす。日々、やらねばならないことを消化していくも、また、次の問い合わせを捌いていく。仕事の合間に、小休止があると、すぐに日なたに行きたくなる。日光に当たりたい。これから先、どんどんと肌寒くなっていくから陽射しが貴重。朝、なんやかんや早起きだったので眠い。

SNSで、ガクトさんの言葉を引用している投稿を見る。それによると、仕事が出来る人は早起きをすべきだ、時間は有限。限られた時間を有効に使うには早起きをしろ。みたいな言葉が添えられている。わかっているし、現場があるときは起きるけれども。とはいえ、なかなかそれを継続することは難しい。

僕自身が考えていることのすべてが正しいなんてもちろん思わないし、なんなら違っている部分もあるだろうとは思う。他の人のことを考えるとそれは僕がやらねばならないだろうなぁと思ってこれまでもやってきたが、結局のところ、それをやりつづけたとて、他の人たちは、それについて何かしらかえしてくれるかというとそうではない。見返りがほしいわけではない。ただ、見返り無しでそれをやりつづけることが、見合うか見合わないか、その判断として、「見合わない」と判断することもある。それは、結果で判断するしかない。

夜、仕事を終えて帰宅。筋トレ。なんやかんや遅い時間になり、就寝。