東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『やがてくる死について』

土曜。朝、久しぶりに娘たちがいる時間に起きれる。娘から「髪切った?」と聞かれる。前日の仕事終わりも家に帰ってから話していたのに、今更?と思ったが、「ちゃんと見てなかった」とのこと。まぁ、そんなものか。それから仕事で車で移動。快晴で気持ちが良い。その後、車を置いて、また別の仕事で浅草へ。銀座線で渋谷から一本。渋谷から座れたので腰を下ろすと、座席下からの温かい暖房ですぐに寝てしまった。目が覚めたら浅草。

土曜ということもあるのだろうけれど、浅草はとても混んでいた。賑やか。浅草寺のあたりの賑やかさと、六区近くの午前中から開いている露店やウインズのあたりの雰囲気はまた異なる。どちらも共存している感じが面白い。

浅草での仕事を終えてから、再び銀座線で渋谷方面へ。土曜はなんだか銀座線の一日。仕事を終えて帰宅し、筋トレ。筋膜リリースのローラーで太ももなどをトレーニングするがこれが結構痛い。

Youtubeかまいたちさんのチャンネルの動画を見る。「おどろいたこと」というネタをそれぞれが披露する動画で、他の動物にはできなくて、唯一人間だけができることを紹介していた。それは、「人間だけが、自分がやがて死ぬことを自覚できる」ということらしい。どこかで聞いた話なのだろうと思うが。自分がやがて死ぬことを自覚できるから、死ぬことを怖いと思い、宗教のようなものができるという。なるほど、とは思うけれど、本当に人間だけのものなのかはわからない。猫たちは警戒心が強く、何かの物音がすれば即座に反応するし、危険と察知すると敏感に反応する。自分が死なないための防衛本能なのだろうとすると死への恐怖はあるのだろうし。集団で行動する動物は、仲間の死を見る事もあるだろう。それは不意に訪れる終わりなのだろうが、それを『死』と理解することと、自分にもその『死』がやがて訪れるものである、と理解することはできないのだろうか。

まぁ、そんなことを疑ってもどうしようもなく、いずれにしても、人は、自分にやがて訪れる『死』を理解できる存在であることは揺るぎない。かくいう自分もそうだし、やがてくるだろう自分の『死』を思うと、それはやはり怖い。

こつこつと。夜、2時近く、就寝。

日曜。7時頃、起床。仕事へ。うまい具合にきた電車に飛び乗ったら快速運転で、仕事場最寄り駅を通過する電車だった。タイミングが悪い。

日中。いろいろ仕事。いろいろと話をする仕事は、体力的にではなく、なんだか頭が疲れる。大学在学中の、それも法律系のとても優秀な大学で勉強をする若い学生が、お父さんがお亡くなりになることを目撃し、自分はちゃんとやりたいことをやれているかと自問自答し、勉強だけではない道を歩もうと決めて俳優を目指すという。当然、家族は反対、というか、せめて大学で学んだことを活かす方向へ進めないのかと言っているらしいが、いろいろと悩みつつもそちらには進みたくないという。

勿体ないとは、赤の他人の僕は思うが、その人にとって自分の目の前で死に触れて、自分のやりたいことをやろうと決意するということは並大抵のものではないだろう。それもまた、やがて訪れるであろう自分の『死』を自覚したからこその行動なのだろうし。なんだか前日にそんなことを考えた矢先にそんなことを聞くと、自分もまた『死』についていろいろと考えてしまう。

夜。帰宅途中にラーメンを食べてから帰宅。筋トレ。食後は身体が重い。気が付いたら寝落ちしてしまった。深夜2時過ぎ、目覚めて布団へ。