東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『映画を観たりする一日』

16日。起きて快晴なので布団を干し、それから洗濯。その間に台所やトイレを軽めに掃除。で、洗濯が終わったので干そうと洗濯機の中から洗い物を取り出すと、娘の上履きが入っている。個人的な見解として、上履きを洗濯機で洗うということがとても飲み込めない。他の人がやっているのかよく知らないが。

家の片づけを終えて、早稲田へ。早稲田松竹で侯 孝賢監督の2作品『フラワーズ・オブ・シャンハイ』と『憂鬱の楽園』がやっているので、これは観にいかねばと向かった。10時半から『フラワーズ・オブ・シャンハイ』。ゆったりとした画、基本的に1シーン1カット(後から調べると総尺36カットとのこと)の画作りは、劇中でしようされているアヘンを吸引するパイプの煙のように、なんとも微睡むような空気感で、その心地よさと、それでいて、基本的に女性たちの部屋のみの画の閉そく感もありつつ、閉じた世界での男女のやりとりを、ぼんやりと、時々うつらうつらしながら鑑賞。もう少し歴史背景を学んでおくとより深く理解できたのかもしれないけれど、画を観ているだけでも心地いい。その後の『憂鬱の楽園』は1990年代の映画なのだけど、そのリアルタイムの時代設定なのか、ちょっと土の匂いが全面的に溢れ出るような時代を感じる。どなたかのネットの感想で、青山真治さんの『helples』とかの雰囲気と書かれている方がいたけれど、確かに、日本で言うところの中上健次さんや青山真治さんの作品の空気感に近い印象。いつか飲食店を出そうとするヤクザまがいの40代の主人公の、そうは言うものの、場当たり的な日々を繰り返す日常、そのきれぎれを観ていると、それはそれで、一瞬一瞬の幸福と、それがゆえに変わりようのない日常への絶望もあるんだろうなと思いつつ。充実した映画2本立てだけど、結果、やはりどっと疲れた。その後、早稲田からちょっと路地をふらふらと散策。車一台通るのが精いっぱいくらいの路地を歩いていると、不意に立派な神社が出てくる。隣の公園では地元の家族連れが楽しそうに遊んでいた。

そのまま東新宿駅まで歩いてから渋谷へ。虫歯の治療。詰め物が少し小さいだかなんだかで再度調整することに。治療箇所にエアーを吹き込まれるととても痛い。痛かったら言ってくださいねといわれるのだけど、歯医者の痛みが、どの程度だとギブアップしていい痛みなのかいつもわからない。この程度の痛みで音を上げるなんてと思われるのも恥ずかしく、我慢をする。

それから少し一息。習い事をしている娘の習い事が終わる時間かと思い、嫁に連絡してみるがしばらく既読にならず。ご飯を一緒にと思ったけれど、待ちきれず、渋谷で夕ご飯を食べる。豚汁定食。それから少し、読書。

笠木泉さんがやられているスヌーヌーというユニットの公演『モスクワの海』の戯曲が期間限定で閲覧できるということで、それを拝読させてもらう。いろいろな出来事は、別々に、点点と存在して、圧倒的に無関係なのだけど、それでも、それを知ったということ、それだけで、そのことに無関係であっても、そのことと向き合えるんだ、と戯曲を読みながら思った。向き合うことを続けること。

それから帰宅。で、娘に、上履きを洗濯機にいれるなと言う。やや不服そうだったが、上履きくらい自分で洗えと言う。それから筋トレしつつ、どうしたことか、また映画を観る。ポールトーマスアンダーソン『ザ・マスター』。ホアキン・フェニックスの危うさのようなものにハラハラするのはもちろんだけど、やはりフィリップシーモアホフマン。ほんと、まだまだたくさんの作品に出ることができたと思うのに。残念だ。

それにしても、一日に映画3本。それもいずれも重厚。さすがにクタクタになった。