東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ヒポクラテスたち』

目覚ましで起こされる。外が明るい感じがして、目覚ましをかけていたのに「遅刻か」と焦ってしまったけれど、そんなことは無い。

 

朝ごはんを食べて、仕事へ行く準備。外は明るいのだけど、雨が降っている。そしてやや肌寒い。日曜の朝なので電車はそこまで混んでいない。

 

仕事いろいろ。話をする仕事は、きちんと伝わるのか、ということなのだけど、話のプロではないだけに難しい。夜になっても雨は止まず、そこそこ冷えて肌寒いのが続く。

 

仕事を終えて帰宅。少し早めに帰ってきて、娘とテレビを観ていたけれど、20時半に娘が寝室へ。早いねとたずねると最近、早く起きれないのは、遅く寝てしまうからなので、少し早めに眠るようにするのだという。

 

ご飯を食べた後、映画を観る。大森一樹監督『ヒポクラテスたち』。京都の医学生たちが臨床実習をしながら医者を目指す青春群像。彼女を妊娠させてしまった主人公の医学生は、彼女との相談のうえ、町の産婦人科で堕胎手術をさせる。その後、悪夢に襲われるが、その時は自らが彼女に撃たれるという夢。それは責められるのは自己であるという現れなのではないか。その後、彼女は実家である舞鶴へ戻ってしまう。また、主人公は寮生活もするのだけど、そこで妹を救った医者に憧れて自分の心臓病を治すための医者になると夢見て入学してきた一年生(一回生)の男の子が、医学を学びながら、学生運動もするようになり、大学病院で学ぶことと社会の矛盾に葛藤し、大学を飛び出していき、東京で事件を起こし捕まってしまう。どういった方向の医療に進むかも決めきれず、なんとなくなぁなぁで臨床研修に臨む主人公の目の前で、突如として、2人が目の前から姿を消し、次第に自分も進むべき道が正しいのか葛藤していく。その途中、彼女を連れて行った産婦人科が、無免許医であり、そこで手術をした女性が、子供を作れない身体になってしまったという報道を知り、自分の選択により、一人の女性の、女性としての人生をふいにさせたことにショックを受けて、思わず、彼女の実家へ電話をかけて「結婚をしなければならないんです」と父親に告げるが、事情のわからない父親はその意図を飲み込めず、冗談を言っているとあしらってしまう。精神を病んだ主人公は、その後、学生生活をつづけながら、精神科に通い、2年の時を経て、無事に卒業すると、テロップで紹介される。

 

全体的には重くなりすぎるわけでもなく、研修医やその周りの人々のその後も、テロップでの紹介と、淡々と進むし、彼らの葛藤も恋愛も、描かれはするものの、結末までは描かない。ただ、いずれも、はっきりとした結論がでたわけではなさそうで、そのまま時と共に過ぎ去っていったような印象を受ける。おそらく、大学という場所、学ぶこと、学生運動も含めて、きちんと区切りをつけることができた人など、それほどいるわけではなく、4年なりの時間の区切りによって、学生生活や人間関係は一応の終わりを迎え、また次の場所でそれぞれが新しい生活を始めて行き、緩やかに過去は終わっていってしまう。

 

そういう意味で、幸福でもなく、不幸でもなく、彼らの人生(自死を選んだ一人を除いて)が続いていくことで、物語を安易に終わらせないという終わらせ方を選んだこの映画はそうだからこそ、青春群像劇なのかもしれない。

 

学生同士で付き合っていたうちの、女性の方に、主人公が「付き合ってるよね」と尋ねる場面。「あれはそんなもんじゃない」と前置きをしてから、「恋愛が、自分には無いものを相手に求めるためにあるなら、お互いが持ってないことを知って似た者同士だと安心するために一緒にいる関係だ」と語る場面は印象的だった。そう言われた主人公は、「外見は恋(濃い)けど、中身は薄いってこっちゃな」と冗談交じりに笑うしかできなかったのは、嘲笑というよりも、精一杯の態度だったのかもしれない。