東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『穏やかな日曜』

日曜。少し寝坊してゆっくりしてしまう。10時半、もたもたと起きだして、朝食。それから洗濯をしつつ、掃除機をかける。いよいよ洗濯機の調子が悪く、途中で停まる。どうも、重さに対する機能がバカになっており、ちょっとした重みでエラーで停止するようになってしまった。だましだまし動かす。最後に脱水をもう一度しておこうと、脱水だけのスイッチを押す。と、なぜか水が中に入って、重みでエラーで停まる。なぜ、脱水をしたいだけなのに水が出るのか。脱水のスイッチを押すたびに水が流れて、そのたびに重みでエラーで停まる。謎だ。

それにしても快晴。風はやや冷たいけれど、空は心地いい晴天。ベランダの窓を少し解放。嫁がいると怒られる。猫が外に出てしまうからだ。でも、最近は、猫たちはベランダから脱走をしない。晴れた空を見上げるようにベランダには出るが、しばらくうろうろするとやがて、また、自分のテリトリーに戻っていく。そういう時間を猫が過ごすのもたまには良いもんだと思うので、僕しかいない時は時々、開放してあげる。やや脱水が甘い濡れた洗濯物を干して新宿御苑へ。御苑の中を歩いていると、木の下で松ぼっくりをとっている男性が「こんなにたくさん良いものがあるのに下を見ないのは損だよ」と誰に言うでもなく呟いている。陽射しが当たる芝生の上でぼんやり。少しばかり仕事のトラブルに対応。この季節は仕方がないが、最近、どうもうまくいかぬことが多い。

トラブルを解決してから、小説を読む。なんとなく本棚から引っ張ってきた保坂和志さんの『ハレルヤ』。亡くなってしまった飼い猫について想いを紡いだ一篇。愛猫の死は単なる過去のことではなく、その猫の死によって今の自分たちの生活はあるし、過去を振り返るという現在の行為が、また過去や、そして未来にも影響を与えているはず、という過去、現在、未来を一方向の不可逆的なものをとはとらえずに、すべては一緒に存在すると考える。

日が暮れてくるとさすがに冷えてきた。空を見上げるとなんだかやけに広く感じる。空の青が鮮明だからか、木々の輪郭もやけにはっきりとしていて、いろいろなものが明確に見えるような気がする。それで御苑の隣にある四谷の区民施設のビル9階にあるモスバーガーへ。見晴らしがよくて好きな場所。珈琲を頼んで、少しばかりメール作業。陽が暮れて、空が夕暮れになっていく。人もそれほどいないモスバーガーはのんびりした時間が流れている。近所のおばちゃん2名が働いている。世間話をしている。夕日が眩しい。「ここ最近で一番きれいだねぇ」とおばちゃんたちが語っている。店員さんが言うくらいなので、きっとここ最近で一番きれいなんだろうな。そんな夕暮れが見れてラッキーだった。

夜は風が強く感じる。夕方、お腹が空いたので蕎麦でも食べようとお店を探したけれど、目の前にあった家系ラーメン屋の誘惑に負ける。胡麻、生姜をたっぷりいれて、豆板醬で少々辛くするのが自己流。そこにライスも大盛。

それからカフェで再び小説読んだり、仕事をしたり。ふと横を見ると、若者が手書きで年賀ハガキを書いている。年賀ハガキなどここ数年、何もしていない。

なんやかんやと一日が終わる。