東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『風景論以後など』

朝起きて、ひとまず朝食を食べてから、洗濯をする。不安定な天気なので、外に干すのは避けるとして、明日が台風で天候大荒れということで、なんとなく今日のうちに洗濯。それから掃除機をかけて、家を出る。

今日は断固休むと決めて、ふらふらと東京都写真美術館へ。

「風景論以後」というタイトルが実に興味深い展示を観にいく。といって、内容はあまり把握せず、ただただ、タイトルに心惹かれて出かける。行ってみて気付いたけれど、写真展示半分、映像半分といった展示だった。中平卓馬さんの写真の圧倒的な迫力はいわずもがな、笹岡啓子さんの「PARK CITY」という一連の写真を見て、はてどこかで見覚えがと思い返してみた。そもそもタイトルが。で、それが、松田正隆さんのマレビトの会で上演した舞台「PARK CITY」の題材にもなった写真集からの展示だった。ああ、なんたる偶然。この写真や舞台に興味を惹かれ、山口県まで車を走らせて舞台を観に行ったのだ。懐かしいなぁ、山口まで車で走ったのも無謀だったが、楽しかった。一緒に付き合ってくれたおさむ氏が、まさかのペーパードライバーで結果、一人で運転したのも懐かしい。が、横にいてくれるだけでも楽しかった。

そして、笹岡さんの写真は、広島の町を「PARK CITY」つまり公園都市として捉える。広島の町は川がたくさんあり、今はとても整えられた街だと思える。たかが1日程度、観光で訪れてふらふらと名所みたいなところしか歩けない僕のようなものが語ることができないいろいろなものがその街にはあるだろうが。暗い夜の街を切り取った写真は、敢えてそのまま暗いまま。その暗さもその街なんだと思う。

で、もう一つびっくりしたのが、「略称・連続射殺魔」映画本編がまるごと全部、観れる展示をしていた。観たいと思いつつ、観る機会を逸していた。80分強。なんやかんや全部観てしまった。映画館ではなく、プロジェクター上映ではありつつ、巨大なスクリーンで良い音環境で観れる機会など滅多にないわけで。

連続射殺犯である永山則夫の出生地から、転々と移動した町、家、仕事先、住居地、そして犯行場所などの風景だけど切り取っていく。確かに考えてみると、この映画こそ、当日、風景論を体現した映画だと思う。音楽は、この映画用に収録されたものなのだろうか。時々、編集とぴったり合い、どちらがどちらに合わせたのかわからないが、フリースタイルジャズの音楽と、1960年代終わりの日本の様々な土地の風景が、当時を思わせる。それにしても、永山則夫がこれほどまでに転々としていたとは知らなかった。想像するしかできないが、きっと何もかもがうまくいかず、その都度、その場から離れてしまったのだと思う。そういったうまくいかなさは、もちろん本人にも非があるのかもしれないが、生きにくさ、生きづらさの中で、藻掻いていたのかもしれない。途中、長野で自衛隊に志願したもののそれさえも受け入れられなかった。彼の苦しさは計り知れない。もちろん、それで犯した犯行は許されるものではないが。彼が書いたノートの一部が展示されていたが、そのぎっしりとした漢字の文字の多さに、言葉も出ない。

東京都写真美術館を出て、くらくらした。写真展示を観るつもりが、まさか80分強の映画も見れるとは思わなんだ。

それから、JRで逗子へ。海が見たくなった。で、個人的には逗子の海が好き。理由はあまりないけれど。逗子駅から海へ。やや曇っていたけれど、海はなんだか心地いい。すっかり夏の風情はなく、人もまばら。海の家も解体作業をしていた。こうやって毎年、作っては壊しているのか。女子高生がテトラポットの近くに2名いて、なんだかずっと話をしていた。夕方になり、雨がぱらついてきたけれど、今度は小学生たちが、あれはなんだ、ボディボードというのか、そのスクールがあるようでたくさん集まってきた。彼ら彼女らにとって、海がそばにあるのは当たり前なんだろうなぁと思う。海に無縁の僕にとっては、近くにこういう場所があるのはうらやましい。父が生前、一度、逗子に引っ越したいと言い出し、家族で逗子を訪れたことがあった。どこに行ったかまでは覚えてない。結局、その後、引っ越すことはなかったが、たまに父は、海のある町に暮らしたい、みたいなことを言っていた時期があった。別にそれを引きずっているわけではないけれど、なぜだか僕も逗子に惹かれている。

陽が暮れるまでいたいなぁとおもったけれど、あいにく、雨が降ってきたので、少し早めに海を後にする。帰りの電車、座ったらどっと疲れてあっという間に寝てしまった。気が付いたら、渋谷。小一時間の小旅行。

夜になると、すっかり涼しい。一気に夏が終わった印象。

明日は台風が来るらしい。