東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

生きることなど、あと初めての経験

いろんな人が真剣に考えている。
それぞれ考えていることは少しづつ違えど、やっぱり『一生懸命』考える、ってことが生きていくことにつながるんだと思う。

ここ(CDSのBBS)にこうやって書いている人も、もちろんここに書いてない人や、このページの存在を知らない人だって、どっかで自分の生きることについて『一生懸命』考えている人は、悩んでいることもひっくるめて、『一生懸命』生きてるってことになるのかな。悩んでるということこそ、一生懸命生きようとしているという風にもいえるし。

もったいないのは何も考えずに時間が、生きていることが過ぎていっちゃうことで、でもそれだって、本人がそうであることに気づいてなければ、また気づいていても気にしてなければ、他人の僕らに口を挟む余地はないのかもしれない。

ハルナの言っていることは、確かに一理ある。そういう状況にその人が陥っていたのなら、もっとずっと大変なんだろうな。俺はそこまで、気がつかなかったし。そして久しぶり。吉沢くんの考え方も、吉沢君の人柄とかがすごく分かる。福嶋さんの考え方も、生きるうえで必要な覚悟を感じる。そういう考え方を聞けて、すごく勉強になる。やっぱり僕もこの日常を一生懸命に生きていかねばならぬと思えてくる。

高野悦子さんが死を選んでしまったことは、やっぱり悲しいことだ。日記の後半は、絶望の淵にいる高野さんの苦悩がうかがえて、読んでいる僕も苦しくなる。何より怖いのは、真剣に生きようとすればするほど、真剣に考えようとすればするほど、少しの妥協も許せなくなり、袋小路にはまり込み、高野悦子さんみたいな『選択』をしてしまう恐れがあるということ。吉沢くんの言うとおり、その時うまく一人から脱却できるか、思い込みから抜け出せるか、そして覚悟を決めて、終わりなき日常を生きれるか。

今、改めてこのページがあったことがよかったと思いました。感謝するべきは・・・一応A管理人なのかな?

昨日、福嶋さんのつれづれつづりをみて、ちょうど高野悦子さんのことを考えていて、なんだか気分が高揚して、あまり眠れなくて、夜勤が明けてもそのまま家に帰るのもなんだか嫌になったので、早稲田大学の演劇博物館でやっている『遊園地再生事業団宮沢章夫展』を見に行った。最近の僕は宮沢章夫さん狂いでして。そこで、いろんな展示や公演の映像を見て、また刺激をうけた。あと、久しぶりに大学構内ってやつを歩いた。学生の持っているあの雰囲気。しかし早稲田は学生が多い。畜大の方がいいな、あんなにゴミゴミと人がいちゃ、のんびりできないし。でもやはり懐かしい。畜大の生協前みたいなところで人が溜まっておしゃべりをしている。どこからか吹奏楽の練習の音が聞こえてくる。そういう大学の雰囲気っていうのは日本中どこでもかわらないのだろう。

早稲田に行くには都電に乗る必要がある。僕は都電が大好きだ。東京の台東区荒川区、豊島区や新宿区の、比較的のどかな町並みをゆっくりと走る都電。新宿や銀座、渋谷とはまた違う東京がそこにはあって、僕はこの東京もまた好きだ。

生きることについて考えたり、宮沢章夫展に行ったり、都電に乗ったりとせっかく楽しかったのに、その後、帰りにあった『あること』のおかげでずいぶん凹んだ。本当にくだらない、というか、もうどうしたって僕が悪いので、何もいえないですし、馬鹿らしいんで詳しくは書きませんが、駅に捨ててあるような自転車でも乗って帰るのはやめましょう、警察の人に注意されて、警察に連れて行かれてしまいますから。まぁ初めての体験だったんで試しに「悪気はなかったんです」と言ってみたら、やっぱりドラマでも言ってそうなことを言われた。
「でも罪は罪だから」
生で言われちゃったよ。いやぁ、反省してます。

それにしても僕はこうやって何かと真剣に考えているときに限って、自分の身から出たつまらないことに足元をすくわれてしまう。そんで結構冷めてしまう。
今、すごく冷静に物事を見る人が僕の近くにいたらこう言うだろう。
「いや、まぁ、生きるってなんだとかさ、確かにそういうことを考えることは立派だと思うけど、まぁ、その、なんだ、その前にもうちょっとあるだろ、まずは道徳を守るとかさ、法律は一応規則だからな、規則は、ほら、守れないと。それにいくらなんでもさ、置いてあったからって、持っていっちゃだめでしょ、子供じゃないんだから」と。
物事はつねに「まぬけ」がすぐそこにつきまとってる。特に俺の周りでは。

だから深く悩みすぎは禁物。
どうにかなるから、どんとこい。

今日の笑ったニュースの見出し
谷亮子 靭帯のびてた」
いや、そういわれてもねぇ。本人も好きでのびた訳でもあるまいし。