東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『身体の零度』

■ 昨日の夜は月がきれいだった。空気が乾燥してるからなのか。ああいう空は本当に好き。で、改めて、夜は怖いんだなと思う。去年、実家のある佐賀に帰ったときの夜を思い出す。周りは田畑しかなく街灯がないあの夜は、本当に真っ暗だった。25歳にもなってあれほど怖い思いをするとは思わなかった。「こんなに暗いの?」と一緒に帰省した父親に言ったら、「昔はもっと暗かった」と返ってきた。


■ その経験以来、夜は怖いもんだと思うようになった。当然、埼玉や東京でそんな夜を実感することはないけれど、それでも僕のどっかにそういう感覚が植えつけられたような気がする。そんな真っ暗な夜に、あんな風に光り輝く月は美しいとおもう。ちょっと人間の及ぶ存在じゃないって思える。夜の怖さを伴って存在する月を見ていると「荘厳」というか「畏怖」というかそういう感情が湧いてくる。


■ どういうリンクをたどってたどり着いたのか自分でも覚えていないんだけど、とてもためになるブログを見つけた。よく見ると、以前芝居を観にいったときに折り込まれていた演劇のフリーペーパーで岩松了さんの「アイスクリームマン」について書いていた方のブログだった。


■ 大変興味をそそられる文章が盛りだくさん。その中でふと目に留まったのがこの文章。身体が過剰な意味の場所でなくなり、単なる身体になった、だからこそ貴重な身体とみなされるようになった、という考え方はとても興味深く思えた。


■ あまりにも気になってしまい、この日記で言及されている三浦雅士さんの「身体の零度〜何が近代を成立させたのか〜」(講談社選書メチエ)を購入。


■ まだ最初の方しか読んでないんだけどとても面白い。「身体こそ人間にとっての最初の文化だった」と書いてあり、身体は単なる身体なのだ、という考え方が出てきたことを「きわめて後世の、一般的ではない文化的成果」だといっている。読んでないとなんのこっちゃって感じかもしれないんだけど、本文を読んでいくとこの考え方にはっとさせられる。身体は単なる身体なのだという考え方は、きわめて現代的であって、文化が成熟してないとこの考え方はありえなかったってことなんだと思う。多分。


■ これって現代の演劇を考えるうえでめちゃくちゃ大事な気がする。こうやってまた面白そうな本にめぐり合えたり、とても勉強になるブログにめぐり合えるとすごく楽しい。