東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

東京の果て『告知や合同稽古』

■ 1月に公演をする『東京の果て』という作品に関するホームページができました。とはいっても相変わらずネット環境にいない僕はドメインやらアカウントやらを取得する手続きをした程度で、諸々全て作ってくれたのはかげわたりの家常さんです。そして、それに伴いこのブログもいろいろリンクを貼っていただきました。こっちはこのブログの管理者Aにやってもらいました。全てが人任せでほんと申し訳ない感じです。


■ ホームページとは言っても公演詳細がある程度で、まだまだ内容は薄いわけですが、これからいろいろなことを増やしていく予定です。全てが1月15日の公演に向けてというわけではなく、それも越えてもっといろいろな形で広がっていけたらなと考えております。このサイトは『東京の果て』のためだけのサイトではなく、僕がいろんな人とこういう創作活動をしていく上での母体『Tokyoend』のホームページとしてやっていこうと思っております。まぁ、自分のネット環境をきちんと整えることが最優先事項なのですが。


■ そして公演は15日の1日で1回かぎり。お席はかなり限りがあるので、チケットなどは完全予約制とさせてもらっております。当日に急に来られてもお席を提供できない状況ですので、何かありましたらこちらのヤフーアドレス『stereonoiz@yahoo.co.jp』に送っていただければと思っております。そうすると私から何かしらお返事をさせていただく次第であります。以上、宣伝でした。


■ 週末は稽古をやったり、撮影をしたりしつつ、18日(日)は初めての役者とバンドの合同稽古だった。年内の合同稽古はこの1回きりなので、それぞれが作ったものをとりあえずきちんと確認し合うという場になればと思ったのだけど、いろいろ打ち合わせをしながらやっていくと時間はあっという間に過ぎていき、結局、音楽が関わらない部分の芝居をバンドメンバーに見せることができなく、いろんなところが消化不良に終わってしまった。


■ へとへとになった。そしてどこかすっきりしないまま合同稽古が終わった。稽古の終わりに、あまりにも参ってしまい、泣き言のようなことをみんなに言ってしまったりもした。


■ 芝居の稽古は徐々に進んでいる。映像の撮影も遅れ気味ながらもきちんとやれている。かげわたりの作ってくれた音楽もすごくいい。僕の中では、全体像が見えてきている。だけど、あくまで僕の中だけ、だ。


■ 今回の芝居は、超分業で進行していた。まずは音楽と映像をそれぞれかげわたりとカタカナの谷川さんにお願いしているわけで、役者はそこに関わっていない。どういう音楽が演奏されるのか役者は合同稽古で始めて判ったという状況だ。映像は映像で、僕と谷川さん以外、他の人は誰も見ていない映像もまだある。そして芝居に至ってはもっと深刻で、かげわたりや谷川さんが見ていない部分があるだけでなく、役者によっても稽古スケジュールの都合で見たことのないシーンがある。


■ 端的にいって、現状で全てを把握しているのは僕だけだ。そしてどうやら今回の僕の台本はよくわからないらしく、とりあえず役をやってくれている人もいるけど、実はよくわからないまま演じているという状況の人もいるらしい。僕だけが全体像を掴んできていても、作り手の中で、意思の疎通が取れてないこの状況はよろしくない。


■ もっときちんといろいろ話をしながらやっていくべきだったと猛烈に反省した。話をするとはこっちから一方的にというわけではなく、相手の意見もきちんと聞くということでだ。僕は役者やバンドメンバーに『走る』ことだけを要求しておきながら、『どういった目的で』『どういった方向に』走るのかをきちんと説明していなかった。みんなは行き先がよくわからん状況でただ走っていたんだと思う。僕がとりあえず『こっちこっち』と先導しているからついてきてくれているだけになっている部分があると思う。このまま、こういう形で稽古をしても僕がたどり着きたい到達点にみんなを誘導することはできるかもしれないけれど、それは果たして、集団で芝居を作ることとして意義のあることなのかと疑問も出てくる。


■ じゃあ、どうするべきかといわれると、それはよく判らないけど、とりあえずきちんと話をしていこうと思った。まずはそこから進めていくしかない。


■ もう一つ、僕が浅はかだったと感じたのが、バンドメンバーの立ち位置だ。僕は、バンドの人が音楽を演奏するということをきちんと考えていなかったのかもしれない。単に曲を演奏してもらうだけではないわけだ。それは当然、意識していたつもりだ。だけど時間を気にしながら、芝居の流れによって演奏をやめてもらい、次の曲が来るまで座って待機しもらうということが実際のライブではありえないわけで、そういった細切れの演奏でテンションを維持することがどれほど大変か。さらに芝居の時間の都合上から曲を途中でカットしてもらったり、舞台の前方ではなく、後方で演奏してもらうことがもたらす戸惑い。違和感。ストレス。そういったことをきちんと考慮していただろうか。「なんか不消化だった」とバンドメンバーの方が稽古後に言ったのは、間違いなく本音だったはず。安易に生バンド演奏を思いついたわけではないのだけど、『バンドが演奏する』ということを徹底的に僕はきちんと考えていなかった。


■ 稽古が終わった後にちょっと飲みに行った席で、家常さんが「しょうがないから」といってくれる度に、僕はどんどん沈んでいってしまった。収穫もあったけど課題もたくさん見つかった合同稽古だった。


■ 飲み会での体たらくを見かねてか、帰宅してからいろいろな人たちからメールをもらった。ふがいない話だ。へこんでなどいられないわけで。いいものを作っていくしかないのだ。今後はできる限り一緒に作っていくみんなときちんとイメージを共有できるように、何か言葉をきちんと発していこうと思う。そう思った。