東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『サニーデイサービスの頃』

■ スーパーに入ったら店内にかかる有線放送からサニーデイ・サービスの『魔法』が聞こえてきた。いい曲だなと思ってしばしぼんやりとする。


サニーデイ・サービスを僕に教えてくれたのは大学時代の演劇サークルの先輩だった。僕はこの方に演劇というものを教えてもらった。この方から教えてもらったことが僕の演劇に対する向き合い方の根源になっている。


■ 「これ、すごくいいから」とその人が薦めてくれるものは映画も本もCDもすごく良かった。僕がそれまでまったく知らなかった面白いものに触れる機会をその人がたくさん与えてくれた。その人が教えてくれたものの一つがサニーデイサービスだった。あっという間にその曲に魅了されて大学生の頃、ずっと聞いていた。『若者たち』『東京』『愛と笑いの夜』『サニーデイ・サービス』『24時』『MUGEN』。その人はアルバムを全部持っていたし、シングルで発表された曲もほとんど持っていて、僕は先輩が持っていたサニーデイサービスの曲を全部テープに録音させてもらって車の運転中にずっと流していた。札幌でやったライブにも一緒に行った。


■ 『LOVE ALBUM』という7枚目のオリジナルアルバムはCDで持っている。テープには録音していない。と、いうのもそのアルバムが発表された頃には先輩との関係が疎遠になってしまっていたからだ。その先輩とは喧嘩別れをしてしまった。喧嘩の理由は僕に原因があるのだけど、今となってはもうどうすることもできない。そしてサニーデイサービスは『LOVE ALBUM』を最後のオリジナルアルバムとして発表し、解散してしまった。やけに暑い日の昼下がり、クーラーもつけずに汗をだらだらかきながらこのアルバムを部屋で聞いた記憶がある。CDなので巻き戻しの必要もないからなんどもリピートして聞いた。


■ 東京に戻ってきてから車に乗る機会が少なくなった。車で聞くようとして大学生の頃に溜め込んだテープは部屋の隅でほこりをかぶった。サニーデイサービスの曲が聞きたくなるとその後に発表された2枚のベストアルバムを聞いて済ませた。大好きな『24時のブルース』、『Wild Grass Picture』、『太陽と雨のメロディ』や『時計をとめて夜待てば』は収録されてなかったけどなんとなくテープを聴く気にはならなかったし、改めて買いなおす気にもならなかった。


■ 久しぶりに『魔法』を聞いて、あらためてサニーデイサービスの曲はいいなぁと思った。歌詞なんかも覚えてるもんで、まだ鼻歌まじりに歌えた。たくさん聞いていたから身体のどっかに染み付いているのだろう。10代の終わりから20代前半の忘れられないあの頃にふっと僕の前に現れて、消えていったサニーデイサービス。今度、アルバムを借りに行こうと思った。


■ 観た映画。

小津安二郎 『麦秋

終わっていく世代を描いた映画。空を飛んでいく風船を見ながら老夫婦は「今が一番楽しいね。このままこの生活が続けばいいのに」と語る。しかし一方で一緒に暮らす娘が早く嫁に行くことを望む。そして戦地から戻ってこない次男については「もう諦めました」と口にする。この言葉は血を次代に受け継ぐことが出来ないものを切り捨てる覚悟の言葉だ。その覚悟は血を次代に受け継ぐ役割をすでに果たした自分たちにも同じように向けられる。娘が嫁ぎ、息子夫婦が地元で病院を開業するにあたり、老夫婦はそれまで暮らしてきた家を去る。それが終わっていく世代の宿命と悟っているように。映画の終盤、家族で写真を撮った後に父母だけの写真を撮っていたけどあれは明らかに遺影だ。家族は誰もが互いを思いやる愛に包まれている。それでも終わっていく世代にはもう居場所がない。映画のラストは嫁いだ娘でも楽しく過ごしてきた鎌倉の家でもなく、田舎に隠居した父母に向けられる。隠居したその場所は美しい山や田んぼが広がる土地だけど、そこは一種の姥捨て山だ。そこに父母とは別のもう一人の登場人物として親戚の老人がすでに住んでいるのも象徴的だ。父母はその世界の仲間入りを果たした。重要なのは父母が自ら望んでそこに向かったことだ。家の前を通り過ぎるどこかの家に嫁いでいく婚礼行列を老夫婦は喜びや悲しみではなく、終わった世代が次の世代を見守るようにただ見つめている。


キートン短編集1』

同時期に活躍したチャップリンがおどけてピエロのようにフラフラと歩くのと対照的にキートンは表情を変えずに全速力で走る。固定カメラの奥に向かって全速力で走っていくキートンは映画の世界が無限に広がる奥行きがあることを教えてくれる。