東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

埼京生活『金曜の一日』

■ 男ばかりで飲み過ぎたせいか起きてからしばし呆然とした。しばらくしてからやっとこさ意識がはっきりして外が晴れていることに気付きすかさず布団を干す。晴れたら布団を干すの法則。


■ テレビをつけると「笑っていいとも」がやっていた。テレホンショッキングのゲストがパックンマックンだった。パックンが登場後、ちょいちょいボケるたびにマックンがいちいちつっこんでいたのが気になった。それと彼らはお互いを当然のようにパックン、マックンと呼んでいた。それが仕事用の呼び方なのか。それともプライベートでもその呼称なのか。プライベートで呼び方が変わるとしたら変わるタイミングってどこなんだろう。なんか変わり際ってすこし気持ち悪いなぁ。でも、変わらないのもやはり気持ち悪い。あと名前の付け方はどう考えてもウッチャンナンチャンと同じ系統だけど何か関係があるのだろうか。そして俺はなぜ二日酔いの最中、パックンマックンのことをこれほど考えていたのだろうか。


■ ひとっ風呂浴びてから早稲田大学へ行く。金曜は大学生(のふり)。今回の授業は『身体と言葉』について。戯曲に書かれた台詞を発する身体はどのような身体なのか台詞から連想してみる。作品は自然な姿の完全な再現は出来ない。もし自然な姿を完全に再現しようとするなら24時間カメラでその人の姿をおってみるしかない。かつてそういうことを実際にした人もいたが、そこを再現することが作品を作るうえで重要だろうか。作品は省略から成立する。どこを切り取るか、その切り取り方に作り手の身体性が反映されてくる。小津安二郎の台詞は端的なものだった。岡田利規さんの台詞は同じことが何度も繰り返されるように書かれている。それらの台詞は実際のリアルと呼べるものとは異なっている。しかしその台詞を語る身体は日本人の、いまのからだ、として浮かび上がってこないか。では身体の現在性は時代ごとにそれほど明確な違いはあるのか。ただ普通に日常生活を過ごしていたら、おそらく明確な違いは見えてこない。しかし作品としてある身体が出現したとき、そこにはじめて現代性が見えてくる。


■ 一見するとだらしないと思われるような脱力感のある身体。演出ではなく、力を抜いて立てる身体があって、声があって、姿があって、そこから湧き上がってくる雰囲気が言葉(台詞)を超えたものとして見る側に伝わってくる、そんな身体が「いまのからだ」としての強度を持っているのではないか。


■ 授業が終わってからこの前帰った時とは別の道を歩いてみる。西早稲田の辺りを一本路地の中に入ってみると車も走れないような細い道が蛇の目に入り組んでいる。その道沿いに家が建てられている。早稲田という名前から想像するにそこはかつて田んぼが広がっていた場所で、それこそあらゆるものの境界線は田んぼの畦の上にあり、それが今も住宅地という形で残っているのではないのだろうか。


■ 歩いている途中で目にとまった古本屋に入ってみる。店内を物色していたらカウンターの上に猫がいるのを発見。購入した文庫本にカバーを付けてもらっている間に猫を撫でてみる。撫でられたことに気付いた猫はゆっくりとこちら側に体をひるがえす。

「かわいいですね」と僕。
「もう人の年齢で20歳になるんですよ」と店主さん。

その猫はゆっくりとした動きで僕が差し出した右手の親指をペロペロとなめだした。僕が手を動かそうとするとその猫は前足を出して僕の右手を動かないように押さえた。

「なめだすとやめなくなっちゃうんですよ」と言いながら店主さんはとても丁寧に文庫本にカバーをつけてゴムで縛ってくれた。お金を払おうとして右手を動かそうとしてもその猫はなめるのをやめない。もう少しこのままでもいいかなと思ったけど手を引っ込めて文庫本代の300円を払った。その猫はしばし僕を睨んでから、ゆっくりとした動きでカウンターの上に丸くなった。またその猫に会いにその古本屋に行こうかなと思った。

中上健次 『紀州 木の国・根の国物語』(朝日文芸文庫)購入。

それにしても古本屋に入るたびに本を買ってしまう。読まずに置いてある本が溜まってきた。

 
■ それから電車で新橋へ。職場の上司とその連れの方々と飲む。今週は何かと飲む機会が多かった。すごく久しぶりにカラオケなんかにも行ってしまったけど、少し歌っただけで喉がかれてしまった。学生の頃には平気で歌えていた曲も声がでない。それと最近の曲はまったく歌えない。カラオケで歌う曲のレパートリーが学生の頃とほとんど変わっていないのはなんだかなぁと思うけど、それはカラオケに行く頻度が社会人になってから驚くほど減ったことが一因だろう。なぜ行かなくなったのかというよりも、なぜ学生の頃にあれほど行っていたのかという方が今思うと不思議な気がする。酒を飲んだら二次会が必ずカラオケだった。まぁそれが若さっていうやつだろうか。なんだこの結論は。