東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『これ鬼っすよ』

先日、遊びに行った大学時代の後輩Oの自宅には、『おかあさんといっしょ』の歌の部分のみを記録したVHSテープが膨大にあった。少なくとも120分テープ3本ほどはあったと思う。確認をしていないので、定かではないが、どのテープも3倍で記録されている可能性もある。
それらの記録は、Oが浪人時代に記録したもので、なんでもその当時の歌のおねいさんに夢中だったので録ったのだという。夢中とはいえ、記録の仕方が半端ではない。歌の部分だけが丁寧に編集されている。1曲3分としても、どれほどの曲数を録ったのだ。
「2浪すると、ちょっと行動がおかしくなるんですよ」とOは平然と言っていたが、それにしても並々ならぬ情熱。しかし、今ではその情熱のおかげで、Oの娘さんは「おかあさんといっしょ」の歌のダイジェストを心ゆくまで見れる。人生何が役にたつか判らないものだと思う。


とある仕事で、アルバイトという形で、職場の同僚Nがかつて通っていた専門学校の学生が働いている。同僚Nの抱える仕事は、photoshopを使用した極めて地味で膨大な量の作業で、1人では終わりが見えないとのことで、アルバイトを雇うことにした。仕事の内容を話すと、その学生は
「Nさん、これ鬼っすよ。マジ鬼っす。」ともらしたという。
しばしば聞くけれど、この『鬼』という単位というか、表現は一体誰が使い始めたのか。いつの間にか認知されていた気もする。冷静に考えると、極めて困難で厳しい状況を『鬼』と表現するのは、的を得ているようで、どこか変だ。
以前、町中で、若い人たちが話す会話が耳に入ってきたことがあったけど、その際に
「それ、鬼ヤベェな」
という言葉を聞いたことがある。どのような状況が「鬼ヤベェ」のかは聞き漏らしたけれど、つまり「鬼」は単位で、「すごい」とか「かなり」と似た表現の、より一層段階が上の状況を表した状況なのだろう。

そういえば、一時、膨大な量を表すのに「メガ」が使われていた際に、何かを大量に盛ることを「メガ盛り」と言っていたけれど、それをさらに超える「盛り」のことを「鬼盛り」と呼んでいた人がいたような気がする。気のせいか。あれも改めて考えると、不思議な表現だ。いろいろさておき「鬼」という響きは面白い。


台風が過ぎて、涼しくなってきた。おかげさまでエアコンを使うこともなくなった。タイミングというものはあるもので、そんな最中、土曜にエアコンの修理が来ることになっている。しかもなぜかここへきてエアコンは冷風をだすようになってしまったし。「どこも異常ないですけど」と言われたらどうするか。まぁ、一応見てもらうというのはやっておいた方がいいとはいえ。