東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『いずれにしても観てばかり』

5月以降、長らく関わっていた仕事がようやく一区切り。7月、8月そして9月は本当にその仕事にかかりっきりで、とにかく一区切りついてほっとしている。

よく働いた。先日の台風の時など、ニュースで騒がれたゴタゴタをよそ目に、会社で泊まり込みでパソコンに向かっていた。ひたすら無関係に、気がつけば台風は過ぎていた。


今日は、洗濯をして、クリーニングに出しっぱなしにして取りに行けてなかったカーペットを引き取って、一息つくと途端に家から出る気が失せて家でぼんやりしていた。ここ最近は、落ち着ける時間ができると家でDVDを観ることが多く、軽い『ひきこもり』の態になっている。

吉田喜重『秋津温泉』
今村昌平『人間蒸発』
野村芳太郎『鬼畜』
小津安二郎秋刀魚の味
レオス・カラックス『ボーイ・ミーツ・ガール』/『汚れた血
テレンス・マリック天国の日々』/『ツリー・オブ・ライフ

観る。『ツリー・オブ・ライフ』は映画館にて。それ以外は、家で一人テレビにかじりついている。
我ながらこもっている。


こもってなかったといえば、9月18日に、F/T11のオープニング作品
飴屋法水+ロメオ・カステルッチ「宮澤賢治/夢の島から」を観に夢の島に行ったときくらい。
野外劇の気持ちよさと、それ以外にもいろいろ刺激を受けた。
作品そのものについてもいろいろ考えることはあると思うけれど、何よりあの空間の魅力。
良い具合に暑さも落ちついた夜、木々が風に揺れて、虫の声が聞こえるその空間そのものが、舞台装置としてある。客入れや休憩時間に、寝転がってずっと空を見ていた。これほど空を眺めている経験って、これまで行きていてもあまり無かった気もする。


して、今日に戻って。夕方、気がついたらうたた寝をしており、これはもう今日もこのままこもってしまう感じかと思っていたところで、仕事関係の方から電話があり、世間話の流れで、渋谷でリバイバル上映されているエミール・クストリッツァの「アンダーグラウンド」の話になる。デジタルリマスター版で、なかなか映画館でかかることもなかろう作品であり、電話で話しをしたこともあり、これは行かねばなるまいという思いにかられ急遽外出。20時からの上映ながら、まさかの立ち見まで出る盛況ぶり。
3章から成っていることは、第二次大戦/冷戦/それ以後のユーゴスラビアの国の置かれる立場の岐路とリンクしていると想像できるし、主人公が実の弟の手によって死を迎えることも同じ民族の間での争いの象徴なのかもしれない。自分の祖国が無くなるという事態。享楽めいた宴のシーンが多いのだけど、そのどれもがやけに哀しい。すでに現実ではないラストの結婚式のやり直しのシーン。ここもまた享楽的。主人公が、だまし続けて来た友人に「許してくれ」と懇願するその返事の言葉「許そう、でも忘れないぞ」が、やけにズシリときた。


やはり、あまりこもりっぱなしは良くない。街にでにゃならん。