東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『任意の一点』

10月20日(木)。仕事を早々にあがらせてもらい、嫁氏に「もう、今年はこれが、きっと、最後の芝居観劇だ」と宣言をし拝み倒し承諾をもらい、遊園地再生事業団『トータル・リビング1986-2011』を観に行く。

2人のアイドルの自死、2つの原発事故、1986年と2011年。無理矢理にその2つの年と出来事を結びつけるではなく、あくまでもそれらは「任意の一点」としてあり、それを記述することの意志こそがそこにある。劇中のクライマックスに読まれる「声」もまた「任意の一点」の集積。さまざまなところで評価されている点として、あの3月11日と、その後の『震災/事故』を微妙な距離感で体験してしまった東京の私の居心地の悪さを、表現の形として昇華する1つの解答としての舞台。

閉幕後、出演者と演出家によるアフタートークがあった。

興味深いやりとり2つ。
劇中に出てくる『忘却の灯台守』役が、執筆中は男が演じる想定で書かれており、稽古時に女性の役者が読んだことをきっかけに変更したとのこと。そのことを役者から「どうしてですか?」と問われ、「よかったから」と回答。さらに、戯曲における役という箱があるとすると、自分の戯曲は、(もちろん制約はあるけれど)基本的に役者自身の身体の魅力を優先として入れ替え可能だという主旨のことを仰っていた、と思う。特に今回の芝居では、以前までの遊園地再生事業団の舞台に観れた役者の身体への表現的負荷(演出)に、制約が少なかったように見えた。自由に演じさせているような。その中で生じる身体的な魅力をそのまま見せているような。

劇中で、1986年の屋上から出ることはできないと語る女子高生役の台詞がある。舞台はビルの屋上のセットが組まれている。アフタートークにおいて、舞台美術に関する話しの中で、予算面で制約がなければ、ビルの屋上に天井をつける予定があったと語っていた。コンセプトとして、屋上という設定だからこそ天井はないセットだと思っていたのだけど、本当は『屋上』という部屋にしたかったのだろうか。だとすると、照明効果もそうだけど、様々なところで印象が変わったと思う。それも興味がある。

戯曲が掲載されている『悲劇喜劇』を購入。改めて戯曲を読む。
さらに諸々伴って、川上弘美さんの『神様 2011』を読む。
しりあがり寿さんの『あの日からのマンガ』もそうだけど、自分の立ち位置で、自分の表現で地震と事故を扱っているように思う。


10月22日(土)。仕事後、久しぶりに実家に行く。というのも、前日から嫁氏と娘子が一足さきに行っており、その迎えも兼ねて。帰ると驚いたのは、実家にすべり台があったこと。娘子が嬉々と滑っている。どえらいものを購入したもんだ。夕食を一緒にとってから、兄に車で送ってもらう。なにせすべり台は電車では運べない。相変わらず親は、孫がかわいくて仕方がない様子。


10月23日(日)。大雨の予報もあったけど、快晴。というわけで外へ。鬼子母神大鳥神社のような場所に行くと、娘子は「なまー」といって両手を併せて拝む。というわけで一緒になって「なまー」と拝む。それからサンシャインに向かう。サンシャインに近づいた東池袋にて、あるマンションに気付く。おそらく『トータル・リビング1986-2011』のチラシに使用されているマンション。それまで気付かなかった。高層マンションは、たまにとても面白いデザインがされてある。それはともかくリニューアルした水族館へ。やけに混んでおりベビーカーを押しながらでは見るのも一苦労。その上、娘子がぐずりだす。「アシカだよ」とか言っても、それどころじゃねぇよと騒ぐ。朝から歩いていたので疲れて眠りたかったらしい。昼寝をするとやっと落ち着いた。クラゲがよかった。ユラユラしている。それからハンズへ。革靴用のコーティング剤とか不思議なものに異様な興味を示しつつ、店内を走り回る。元気すぎてこちらが疲れた。