東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ライフプランなんて考えてない』

11日(金)。先日、恵比寿にて面接を受けた会社の二次面接。一次が通ったこともあって少し落ち着いて面接に臨んだのだけど、そこで面接をしてくれたその会社の方から「ライフプランは?」と問われて戸惑って、返す言葉が見つからなかった。

ライフプラン。

正直、それを考えたことはなかった。生活に関してもビジネスに関しても。近々の生活に関しては、金がどうだとか、娘子の成長に関することとか考えるけど、数年後、もっと先、そういうことは深く考えたことはなかった。まして、ビジネス的な視野など持ってもいない。33歳で、妻子がいて、仕事を辞めて仕事を探すこと。収入のこと。これから、君はどうするのか、と、かなりいろいろ突っ込まれてしまった。僕自身が思うことを正直に話したけど、確かにそういう点が欠けているのだなぁと思い、なにやら沈んだ気持ちで帰宅した。


12日(土)。酷使をする一日とした。それで早朝から渋谷へ。とある高層ビルに行く。国道246号と旧山手通りの交差する付近の高層ビル。その16階での酷使だったのだけど、そこから見える眺めは本当に良かった。交差点付近は渋谷から歩くと坂を上る形になる。そんな土地だからか、それほど高いビルではないように思ったけれど、そのビルの16階からは新宿や六本木などは当然として、多摩地区の先の山々まで見えた。少しばかり距離はあるけれど、東京も山に囲まれているのだなと実感。

で、興味深いのは16階っていう高さは見下ろせば地上の風景もはっきりと分かるところだった。きっともっと高層にいってしまうと地上は『地上』という平面的な風景になってしまうのだろうけれど、16階から見下ろした地上は、一つ一つの建物もはっきり分かるし、なんだったら歩いている人もはっきりと見ることが出来る。

具体的に見下ろせる視界、とでもいうか。

飛行機にのって、地上を見下ろすともはや人の姿ははっきりとは分からず、曖昧な気持ちで、この地上に一人一人の暮らしがあるのだろうとか思うのだけど、16階くらいの高さだともっと具体的に歩いている誰それの姿が見えて、想像とかの入る余地がない実物を目撃できる。なにやら貴重な、神の視点を得た気分になる。

そういう視点で人の生を見つめる。なんてことない、劇的なんてどこにもない、人の生。そういう芝居を作れないだろうか。遠過ぎず、かといって近過ぎず。見下ろすといってもそれは偉そうな立ち位置ではなくて。人が生きている。それを見つめるだけの、そのかわり徹底的に見つめる。

単なる私見だけし、僕が見ている範囲でしか言えないけれど、おそらくそういう視点でもって芝居を作ろうとしているお一人としてケラリーノサンドロヴィッチさんがいるのではないか。特に近々の作品にはその印象を強く感じる。

きっとそんなことに夢中になっているから、ライフプランなどたてれないなのだろう。


嫁氏と娘子は土曜から山形へ。義父さんの還暦祝いと帰省を兼ねて。久しぶりの一人。なにやら寂しく思う。


13日(日)。再び恵比寿へ。金曜に二次面接を受けた会社の筆記試験を受ける。どうなることか。試験を終えて渋谷まで歩き、せっかくだからとユーロスペースへ。アキ・カウリスマキ監督の『ルアブールの靴磨き』を観る。久しぶりの映画。久しぶりのカウリスマキ。幸福な結末を素直に受け入れられる。あと相変わらず登場人物たちはやたらに煙草を吸う。

帰宅して、カレーを作る。一人の時はカレーだ。カレーを大量に作るのだ。


14日(月)。して今日。とても暖かかった。暖かいというよりも汗ばむ陽気。故あって、というかある会社の面接で押上に行った。電車で通り過ぎることはあったけど実際に降りるのは初めて。地下鉄の地上出口にでて東京スカイツリーがいきなりでてきたのに驚く。

マレビトの会のパフォーマンスで曳舟の商店街をうろうろし、そこから見えるスカイツリーは見たことがあったけど、押上だとまさにスカイツリーの真下。さすがにでかい。


面接を受けて、外へでるとなぜだかやけに疲れが出て、せっかくの陽気だったけどともかく横になりたいと思い、すぐに帰宅。帰るとやけに頭痛がしてとりあえず横になった。頭痛で横になる自分の弱さに泣きたくなってくる。それとも仕事をしてなくて身体が恐ろしく鈍ってしまっているのか。さらなる酷使が必要か。

夜になってやっと落ち着く。