東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『そぞろの民』

tokyomoon2015-09-18

雨が続く日々。もう暑さもなく、夜は涼しいどころか布団をかけないと寒くなるような具合。今朝は雲間から晴れ間も見えてやっと傘から解放されるかなとホッとする。


16日(水)。無理くり時間を作って駅前劇場でやっているトラッシュマスターズの『そぞろの民』を観に行った。一緒に芝居をやったこともあるMくん、と今更伏字でもないのか、森田くんが出演している縁もあり、観劇。


安保法案が衆議院で可決された日に自殺をした父親のお通夜の場で繰り広げられる会話劇。ディベートのように、戦争や政治が語られる。議論される内容やキャラ設定は本当に勉強になるし、亡くなった父親の子供たちのうち、巨躯な長男が劇中の半ば過ぎに出現する場面のラスボス登場のような場面の立ち位置配置のうまさ、などいろいろと面白く拝見しつつ、では表現とはなんなのだろうと改めて考えたりもする。


ここで語られる怒り、苛立ちは僕もとても共感できるし、本当にその通りだと思うのだけど、それを『父の通夜』の設定の場でディベートすることで、父の喪失の悲しみがどこかへ無くなってしまったようにも感じるし、ここで語られる言葉に突き動かさせるならば、僕は劇場に行かずにデモへ行けばいいのではないかと思う。もちろんそれらは比べられるものではないのだけど、国会前へ、デモへ行かず、それでも今の政治に苛立ち、でも自分の立ち位置から劇場へ向かい表現に触れてたい。表現としてでしか、劇場でしかなり得ない闘い方があるのではないかと。僕自身、まだその部分ははっきりしてないし人のことを言えるほどのことは何もできてないのだけれど。


それにしても森田くんは変わらずの佇まいだった。中盤からの登場で、父の死からあるジャーナリストの悲壮な決意、と重くなる空気の中で、森田くんの出現でフッと柔らかくなる空気感。得難いものだなぁと思う。


観劇後、一緒に観た家常さんと森田くんと3人でいろいろと話し合った。愉しかった。楽しすぎて少々飲みすぎてしまった。