東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『お金を払うこと』

毎年そんなことばかり書いてるけど、今年もなんとなく鼻が出たり、目に痒みはあるものの、そこまで酷くはなく、花粉症になりかけたままの日々が続く。梅や八重桜が咲いてるところもあるし、周りは徐々に春の装い。

 

 

先日、新宿で人を待っていたら見知らぬ男性に呼び止められた。手帳を出して、見てくれと言ってくる。中には子供がたくさん映ってる写真と、その横には署名がたくさん書かれている。生まれ故郷の子供達のために学校を作りたい。そのための募金をお願いしている、という。署名を見ると名前がたくさん書いてあり、その横には千円とか五千円とか書いてある。「海外は行ったことあるか?」「カンボジアは行ったことあるか?」と聞いてくる。言ったことはないと答えるが、そういうやりとりの中で、なんとなく物腰の柔らかい印象を受け、財布の中の小銭をだした。その男性は、写真が挟んである手帳を折り返すと、そこにお金が入れられるような財布のようになっていて、それが作法とでも言うのか、手は出さずにそこにお金を入れてくれとアピールする。小銭を入れると彼は握手を求めてきたのでなんとなく手を出す。力強く握手され、笑顔で彼は去っていった。

 

 

あっけにとられたといえばそれまでだけど。個人的に募金というものが好きではない。それをすること自体を否定しないけれど、どこか唐突に現れて、相手側のタイミングでお金を求めることに、なんとなく抵抗がある。募金の内容ではない。おそらく、その募金を求めてくる人の距離感に、戸惑うのだと思うし、何よりも、その人にお金を渡せるか、という部分がはっきりしないからなのだと思う。もっと言えば、募金の内容ではなく、その人自身に払えるか、払えないか、なのだと思う。新宿のその男性のテクニックとかそういうものではなく、その物腰の柔らかさにいろいろ許容していて、彼の手帳や写真にも影響を受けたとは思いつつも、どちらかというと、その彼自身に対して、少しばかりのお金をを渡した、というような気がする。もちろん、早々にその場をやり過ごしたい気がなかったわけではないし、もしかすると騙されたかもしれないがそれはそれで仕方がないし、ただ、なんとなく普段は開かない財布を、わりとすんなり開いた自分に驚いて、後から考えてみた。

 

 

 

 

 

日曜。近所の友人の猫(クロとルリ)を預かる。正月に預かったばかりなのでさすがに少しは覚えているみたいで、黒猫のクロはすんなりとベッドの上でくつろいでいるし、普段は頑なに押入れから出ない三毛模様のルリも頭を撫でさせてくれるくらいには落ち着いている。

 

 

 

春が近づいてきていることが気温で分かる。とはいえ、夜、なんとなくテレビを見たまま寝落ちしてしまっていたら、寒さで凍えるかと思った。

 

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