東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『ぶちのこと』

先週の出張中、嫁から連絡がはいった。猫のぶちが亡くなったとのこと。すでに点滴で栄養を摂っているような状況で、ある意味ではやがて来る事態ではあったのだけど、やはりこうやって直面すると、なんだか全身の力が抜けるような想いになる。僕も出張中だったが、実は嫁と娘も以前から決まっていた行事があり、家を留守にしていた。1泊2日だったことと近所に住む知り合いの方に、猫を預けることができたので、お願いして出かけていたタイミングだったという。預かっていただいた先で、ひきつけを起こして、体調に変化があり、やがて息を引き取ったという。幸いだったのは、看取っていただける方がいたということだろうか。

遠く出張先にいたので、僕は何をできるわけではなく、その話を聞いて「そうか」と受け入れるしかなかったし、元々僕はあまり面倒も看て上げれてなかった。野良猫のタフさもあったのかもしれないが、体調を崩した後もがんばって生きていた。家の中で暮らすようになってから、周りの猫たちとはなかなか馴染めなかったけど、お気に入りは階段の中段のあたりで、檻の扉を開けていると、フラフラしながらも階段先に向かった。暑かった夏を乗り切って、少し涼しくなってきた矢先だった。もう少し頑張れるかなと思ったところだったけど。

ただ、もちろん、きれいごとばかりは言えず、ぶちにかかっている治療費はずいぶんなものだったと思うし、それをなんとなく耳にしている身としては、どうしようもない気持ちにならざる得ない部分もあった。こういった終末治療とでもいうのか、そういったことが、身内なり自分自身にも今後起こりうるであろうことを考えると、それはそれで何かしら、覚悟をしなければならない。

ぶちは、小さい猫だった。野良として地元地域を自由にしていたころ、玄関先に餌を置いておく習慣がついたころは、家に帰ると足音だけで気づいてどこからともなくやってきた。音はしないのだけど、擬音語でいうと、「ててて」という音が似合いそうな小走りで、人間に気を許さず、餌を食べながらも警戒しながら、それでも家族には少しずつ気を許しながら、ゆっくりと距離が近づいていった。餌を食べている時に、頭を撫でさせてくれるようになったのはいつからだったか。

体調を崩して、思うように身体が動かなくなってから、嫁や娘の膝の上で抱っこされるようにされている姿は、元気なころから考えると不思議な光景だった。野良として、地域で生きる猫としては、ちょっと特殊な生き方、そして死に方をした猫かもしれない。そういった猫ばかりでは当然ないし、人知れず、そっと一生を終える地域猫は数知れずいる。自分にできることは目の前の、自分の手の届く範囲の生活を維持するだけで精一杯。ただ、その範囲を超えた先に、また別の誰かの生活があり、生きている人がいる、そういう想像力だけはきちんと持っていたいと思う。

ぶちは、最後に、嫁や娘に自分の終わりの姿を見せなかった。猫は死に目を見せない。都合の良い解釈をすれば、家族と認めてくれた人の前で、終わりの姿を見せないようにしてくれたのかもしれない、と、そんなことを思ったりもする。嫁や娘が、小さいながら軒先にある土の中に、ぶちを埋葬してくれた。

インスタグラムの写真をさかのぼると、ぶちが玄関先に現れたときの写真が出てきた。5年くらい前の写真だった。小さい身体で、野良として生きてきた猫、ぶち。どこからかやってきて、家族になってくれた。ゆっくり休んでもらえたらと思う。