東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『みぞれ』

11月4日。夜の2時過ぎ。娘が僕を起こしに来た。

「おとう、みぞれが」

娘は泣いていた。起きだして、嫁と娘の寝室へ行くと、毛布に覆われているみぞれが静かに、そして動かなくなっていた。

みぞれの容態が悪くなったのは先週の木曜くらいか。口から血が出ていたようで、嫁と娘が病院へ連れていった。それで抗生物質を処方しつつ、「ついでに身体検査しましょうか」と調べてみたところ、腎臓の値などがとても悪く、すぐに亡くなってしまってもおかしくない、くらいの容態だったのだという。

娘が生まれる前から、我が家の一員だったチンチラシルバーのみぞれは、ペットショップで購入した猫だった。おっとりとした性格で、一緒に飼っていたチンチラゴールドのけだまの活発さを見ていた僕からするとやけにおとなしいと思えた。みぞれが不慮の出来事で亡くなってしまった後、我が家には4匹の猫が加わったが、みぞれは、特にボスのように君臨するわけでもなく、穏やかに、猫たちの間を悠然としていた。4匹の猫たちは互いに喧嘩したりする時もあるが、みぞれとそれぞれは仲良くやっており、そういうのも、みぞれの性格の成せるものだったのかもしれない。

小さい頃から、娘の傍で、寝転がったり、のんびりしており、なんやかんや娘の傍にいてくれた。

徐々に歳を重ねて、最近はすっかり老猫の感じではあったが、猫は見た目が変わらないので、そんなに気にしたことはなかった。やや痩せてきたなという気はしていたけれど、人間の食事をいつもねだるわんぱくさはあり、いつも、朝食の時、牛乳やヨーグルトを、「くれくれ」と手を出してきたりするので、食べさせないようにするのが大変だった。

最近、足元がややおぼつかず、ちょっとした段差を飛び越えるときに、失敗する姿はちらほら目撃していた。だけど、先週のあたまも、結構な力で人のご飯を食べようとしていたし、まだまだ元気だろうと思っていた。

体調が悪くなり、急速に衰弱して、病院に行ったあとは、毛布の上でずっと横になっていた。11月2日の朝、「もうそろそろだめかもしれない」と嫁が口にした。会社へ行く準備をしていた時、寝室から嫁が大きな声をだした。みぞれが寝ながら、痙攣をしていた。辛そうだった。しばらく動きが激しかったけれど、少しの後、落ち着いた。それでその日は仕事へ出かけた。夜。少し早めに仕事を終えて、帰宅したら、まだみぞれは眠っていた。動きはそこまでなかったけれど、寝息は落ち着いていたように思う。

習い事から帰ってきた娘も玄関から一目散に寝室に駆けてきた。それから涙を流しながら日清のシーフードヌードルの大盛を食べながらみぞれを見ていた。なんでそれなのかと聞いたら、とりあえず急いで帰ってこようとおもって、なんでもいいからコンビニで目の前のものを選んだのだという。

3日の朝、まだみぞれはすやすやと寝ていた。とても心地の良い朝、外も穏やかな陽気だった。僕は少しだけ、午後に仕事の用件で出かけた。家を出て、久しぶりの穏やかな陽気に自然と笑顔が出た。陽が暮れて、帰宅して、久しぶりに家族で食事をした。みぞれも落ち着いて眠っている様子だった。まだ持ち直すかなと思った矢先の夜に、みぞれは息を引き取った。水を飲まそうと夜に起きた嫁がみぞれに触れたら、息をしていなかったのだそうだ。

生まれてこの方、ずっと飼い猫のみぞれは、おそらく、猫の性分としての、飼い主に死に目は見せない、ということをせず、偶然なのだけど、仕事が落ち着いていた僕や、習い事もない娘たちと、穏やかで心地の良い祝日を一緒に過ごしてくれた。そして、最後の最後、静かに、家族が寝静まったあとに、そっと逝った。

穏やかな猫だった。最後までそうだった。

今朝、家の、狭いながらも土のある場所に、みぞれを埋葬した。家族で土を掘り、そこに埋めた。

娘が顔をぐしゃぐしゃにして泣いているので、父親としては、そんな娘の横で泣けない。埋葬した後、仕事があったので、仕事の準備をして、朝食を食べた。いつもの朝。牛乳やヨーグルトをよそうと、「くれくれ」とテーブルの上にあがってくるみぞれが、もう、いない。

それは11月2日の夜、カップラーメンを食べ切ったあと、涙を流しながら、「寝ないでみぞれの傍にいる」と息巻いていた娘は、みぞれの横であっという間に寝息を立てた。その姿をこっそり写真におさめた。小さい頃から、いつも、みぞれと娘は一緒に寝ていた。娘もみぞれも同じ顔をしている。

想いだすといろいろなことが溢れてきて、楽しくなりながら、泣けてくる。

みぞれ、ありがとう。そして、ゆっくりおやすみ。