東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『センチメンタルな旅 冬の旅』

外に出たらとてつもなく寒い。予報では明日は雪だという。空を見れば確かに灰色の雲で、雪が降りそうだなと感じさせる空。紅葉もすっかり鈍い色。

仕事の合間で、喫茶店に入る。当たり前のようにWi-Fiを探して、パソコンを開いてメールを打つ、電話をする、という仕事の繰り返し。気が休まらないなぁと思いつつ。ふと、その喫茶店荒木経惟さんの『センチメンタルな旅 冬の旅』の写真集があり、に取る。奥様の陽子さんとの日々の記録である『センチメンタルな旅』はちらちらと見たことがある。福岡、柳川に行った際の小舟で眠っている陽子さんの写真はとても好きだ。その他の写真はどれもなんだかむすっとしている表情をしているのもなんだか印象的。その旅行の抜粋のような写真があり、メインである冬の旅が始まる。冬の旅もそういった旅行の写真で綴られているのかと思った。が、そうではなく、陽子さんが末期の病気を発症し、闘病、そして息を引き取り、葬儀をするまでの約6か月の記録を綴る写真と日記だった。一枚目の写真はどこかのパーティーで荒木さんと陽子さんが歌って踊っている写真。写真の横の日記には、二人で映っている最後の写真、であると綴られる。それが5月のこと。

当たり前だけど、この当時はデジカメなどまだないはずで、それでもカメラを持ち歩くのは荒木さん自身がカメラマンであるがゆえの習性だと思うし、今では思いつけば携帯のカメラモードでなんでもない日常を撮ることができるが、この写真集にあるような日々の積み重ねのような写真、例えば、荒木さんの膝の上に猫が乗っかっている写真のような本当にささやかなものは時代を考えれば、ある種のカメラマンの狂気のようでもある。子宮肉腫の診断を受けてから荒木さんの撮る写真の枚数が増える。いや、それはあくまで写真集に掲載されている写真のカウントなので、そこにはもちろん選定があるはずだ。だけど写真集に掲載される割合として、病気の発症してなかった5月から8月あたりの枚数に比べるとそれ以降の写真は格段に多い。が、直接的に陽子さんを映したものはほぼ無い。掲載された写真の多くは病院へ続く道や、豪徳寺駅周辺、そして飼い猫とベランダから見える風景などの日常のものである。短い言葉で綴られる日記と写真から垣間見える日常が、少しずつ、陽子さんの容態を語る重いものになっていく。荒木さんの飼い猫はことの深刻さをわかっているのか、我関せずなのか、ベランダやよそ様の屋根の上などを奔放に徘徊している。荒木さんはきっと相当辛かったのだと思うけど、それでも飼い猫をとらえた写真はなんだかのんびりとした風情だ。不思議だ。当たり前のように日々が過ぎていく、そして愛した人がどんどん死へと近づいている。写真集に掲載されている写真には、右下に日付が記されている。そのデジタルな表示が、カウントするように淡々と存在する。そして1月27日。陽子さんがお亡くなりになられた日。前日から病院につめていて、病室の風景や陽子さんの手を荒木さんが掴んでいる写真のあとに、言葉が綴られない写真が何枚も続く。陽子さんが亡くなった後、荒木さんが病院から家まで帰る道の風景。それはこれまでも繰り返し撮られたものであるはずなのに、1月27日という日付が刻印されているその写真は、そうであるがゆえに、ある決定的などうしようもない風景として写真集の中に存在する。これほど苦しくなる写真集があるのだろうか。

その後、淡々とした形で、お通夜、告別式の写真が続く。お通夜の席で、小説家の中上健次さんが歌った唄は、都はるみさんの「好きになった人」だったと日記に綴られていた。すべてを終えた、1月31日の夜。黒々としたベランダに雪が降り始めた写真がある。そして、翌日2月1日の写真は、雪が降り積もり、足の踏み場もないベランダを楽しそうに走っている飼い猫の姿を映した写真があり、その写真で写真集は閉じられる。なんて冷たい手触りで、美しい写真だろうか。これほど身につまされて、それでいて言葉にならない感情に揺り動かされる写真集に久しぶりに出会えた。