東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母が再び』

早朝に仕事。まだ日も出ていない。外はそこまで肌寒さを感じない。少し都内から離れた場所で仕事。午前中で仕事に一区切りをつけてから、急遽、実家へ。

母の調子が戻らず、土曜に兄が母を病院へ連れて行ってくれて、検査を行ったのだけど、その検査結果を確認に行かねばならなくなって、僕が行くことになった。実家に着くと、とても陽射しが気持ち良い朝だったのに、母は窓も閉め切ったまま部屋の中にいた。テレビを観ていたので、ひとまず、窓を開ける。テーブルのうえや、床も汚れていたので、掃除機をかける。

病院へ行き、検査結果を確認。結果としては『異状は見当たらない』。ひとまず安心。で、午後に別の病院を紹介してもらい、検査結果を元に、少し相談に行くことになっていたが、午後の受付までまだ時間があったので、ひとまず昼食をとることに。一人にしておくと食欲が無いと言って食べることを拒むので、コンビニで何か食べたいものがないか、母に選ばせる。そうすると選ぶ。で、家に帰って一緒にご飯を食べると、少しではあるけれど食べる。やはり環境か。

午後、別の病院へ行き、いろいろと相談。ひとまず、かなり痩せてしまっており、このまま一人暮らしは難しいこと。まずは栄養を摂れるようにしたい、など相談をすると、「では、入院させましょうか」と言ってくれた。即入院できるという。そんなつもりでは来てなかったけれど、それは有難いと思い、さっそく手続きをしようとするが、少し母が渋る。家に帰りたいという。しかし、そうしてしまっても解決することはない。点滴など、できることをしてもらえる環境が必要。少々強引ながら、母を説得して、検査をしてもらう。それから、書類関係、諸々手続き。16時くらいの段階で、17時半までに印鑑を押印した書類を手配して、手付金の50000円を用意できますか、と聞かれる。「できるはずないだろ」という言葉が吐きかけるが、辛うじて踏みとどまる。幸いなことに母がなぜか印鑑を持参していたので、それで書類を作成し、簡易の宿泊備品は、病院近くのドラッグストアで揃える。

入院着に着替えた母から「ガスの元栓を締めておいて」と頼まれる。それと、と言って、汚れたからと、ビニール袋にくるんだ下着を渡される。

病院を出たのは、18時過ぎていた。仕事があったので都内に戻らねばならない。どっとつかれていたものの、ひとまず都内へ。移動中も、いろいろなメールが来ている。その合間に、心配をしている親族から問い合わせのLINEが来るが、まだ兄とも連絡が取れておらずの状況。順番というものもある。

夜21時過ぎ。ようやく兄と連絡がとれて、状況を話す。悪気はないのだろうが、兄が何気なく発した一言にカチンときてしまい、少し小言を言ってしまった。母が倒れてからの1年ほど、自分にできることはできる限りやってきた、つもりだ。もちろん、足りないこともあるし、実際、ここ2か月ほど、実家へ行くことを怠ってしまっている間に、母の体調が悪くなってしまっていた。手分けしてできることは手分けをすればいい。別に過去のことを持ち出して、これだけ自分はやってきたのだぞとは主張したくないが、しかし、逃げ場がない中で、やってきている自覚はある。そこはわかってほしい、と伝えた。

仕事が終わり、23時過ぎ、家に帰る。母の家から持ってきた食品や、衣類など。手渡された汚れた下着。そのまま洗濯するのもあれあと思い、風呂場で下着を洗う。母の下着を洗う。なんともこういう時期になってしまったかと思うが、こういう時期が来たのだ。ここからまだまだいろいろと続く。

長い一日だった。翌日も早いのだけど、なんとなく寝つけない夜。