東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『母の誕生日と冷たい風と』

18日。休みの土曜。油断して少し寝坊。洗濯をしてベランダに干す。風が強いけれど、陽射しもある。娘たちは用事があって出かけるとのこと。僕も掃除機をかけたりしてから、実家へ。

 

兄と母の入院している病院へ。病状を聞きに行くのと、この日が母の70歳の誕生日ということもあり伯母が用意してくれたプレゼントなどを届けに行く。渋谷から実家まで一本で行けるもののだいぶ長距離。兄と約束していたのは13時だったのだけど、少し遅れてしまう。

 

病院は残念ながらやはり面会できず。なので渡しものを渡しつつ、容態を聞く。ご飯は食べるけど、他のおかずはあまり食べないという。多少、体重は増えたものの、まだまだ気力が無いという。まだまだ心配な状況。それから兄と実家へ戻り、父に線香をあげたり、掃除をしたり。窓を開けて換気。病院を退院した後の施設などを探すなど、これから先のことも考えなければならない。兄が病院の人と話をして、そのあたりのことも進めてくれている。で、母に電話をかけてみると、電話に出た。声の調子は悪くはない。おかずを食べてないことをたずねてみると、「おいしくない」という。それから、自分だけ他の人と違うものを出されている、牛乳も一度飲んだとき古いやつで賞味期限が切れていて、それから飲んでない、というような何かネガティブなことしか言わない。そんなことはないはずだよ、と言っても聞いてくれない。母のそういった頑なさをなんとか解きほぐせないものかと思うが。ただ「病院にきてくれてたんだね」と、そこは嬉しそうにしてくれた。何か必要なものがあるかと聞くと、靴下や歯磨き粉が欲しいというので、それらを用意して、再び病院へ行くと伝える。ついでに暇を解消できるように母が好きなクロスワードパズルの本も買っていく。当然、病院で会えるわけではないので、また看護師さんに荷物を預けるのみ。会えずじまいの誕生日ではあるけれど、少しだけでも電話で声をきけてひとまず。

 

そんなこんなで夕方。風が強く肌寒い。電車に乗る。暖房が暖かくてホッとする。兄が先に降りて別れたあと、ぼんやりと外を眺める。実家のある駅を走る路線は、夕暮れ時、陽が街を照らすのを眺めることができる。夕暮れのオレンジ色の街並みをぼんやりみていたら、いつの間にか眠ってしまっており、そのままあっという間に渋谷近くまで走っていた。

 

渋谷で、新しく出来ていた野菜炒め専門店みたいなお店に入り、昼のような夜のようなご飯を食べる。それから、文化村の映画館で、映画『偶然と想像』を観る。三話のオムニバス。いずれも物語が動き出す些細な出来事をきっかけに生じる会話劇。大袈裟な展開は極力控えつつ、丁寧に対話のやりとりが描かれる。一度だけ、カメラ目線が入ることが三話に共通する。

誇張された演出は控えてあり、対話で物語は進行していくものの、対話には適度な緊張感があり、いずれの作品も映画としての画の強さを感じる。対話だけで釘付けになりつつ観る。

それぞれの対話の場面がどの程度の時間をかけて撮ったのかわからないけれど、できる限り、その場の空気感を大切にしようと感じられる画は、ワンショットとツーショットの切り替わりはあるものの、できるだけ最小限の割りで撮られているのではないかと想像する。第一話でいえば、最後のやり取りのある喫茶店は、再開発が進む今の渋谷が舞台であり、工事の音は関係性にアクセントをつけるものとして見事な存在感だったし、それが2021年というよりは、工事中の都市であることが、何か一つの象徴のように思えた。最後に主人公である女性がその再開発の風景を記録に収めたのは、なんというか、今のあるがままをとどめておこうという意志のようにも感じる。

いずれにしても三話それぞれに、何かしらの街の建設中の工事の音、廊下を通る学生の声、薄く入る飛行機の音、街の雑踏、車の通る音。それらの音が、その場の、対話の、物語の空気感を伝えるために存在していたように思う。

第一話の、元カノと男の会話で、男が腕を頭の後ろで組んだ後、髪が少し跳ねるのだけど、それは意図したものかどうか定かではないのだけど、その跳ねた髪の雰囲気が、そのままポスタービジュアルに使われていて、それ、やっぱり気になったようなぁ、誰もが、と、映画を観終わったあと、ポスターを見て、にやにやしてしまった。いずれにしても、年末に来て、とてつもなく刺激を受ける一本に出会えてとても幸いでした。

 

帰宅して、筋トレしつつ。干していた洗濯物を触ってみると、まだ濡れている服もある。乾いてなかったか。意外。刺激を受ける映画の刺激を減らしたくなくて、なんとなく、テレビもつけずに、音楽を聴いて過ごす。