東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『比較的穏やかな祝日』

朝、目を覚ましたら8時過ぎで、ぼーっとする。日差しの感じからいい天気だと感じる。のんびりと朝食を食べて、ゴミを捨てたりしていたら、思ったよりも時間がかかり、仕事の約束の時間の1時間前になる。それで慌てて家を出る。

日差しは気持ちよく、電車に乗るとやや汗をかくほど。地下鉄の駅から目的の場所まで、検索すると徒歩20分とでる。速足で歩く。路地の銀杏の木が黄色く色づき、例の香ばしい匂いをまき散らしているが、それはそれで、秋っぽい。

無事に集合時間手前に間に合い、午前の仕事は良い手ごたえで終了。他にいくつか〆切のもの(過ぎているもの)の連絡などを謝りつつも済ませ、一息。青山近辺から品川方面へ移動せねばならず、どういう風に行こうか思案しながら歩いていたら、「品川駅高輪口行き」のバス乗り場に遭遇し、やや時間はかかるものの、バスで行くことにする。電車で速やかに行けるけど何回か乗り換えがある、というよりも、少し時間はかかるけど、バスで最寄りまで行ける、という方が、何やら楽に思えてくる40代である。

青山近辺から品川へ向かうバスは、青山墓地や、西麻布などから乗り込んでくる人がやたら多く、ほぼ満員のまま品川へ。幸い、途中で座れたものの、寝る間もなく、仕事のトラブル対応をスマホでやる。気が付けば下車。諸々の用事を終えて、品川の川べりで、ちょっとのんびり。

風はややあるものの、日があたると寒さも感じず、ぼんやりする。時折、飛行機が上空を飛んでいくが、新宿と違い、羽田が近いからか、かなり低空を走っており、風を切る音がすごい。機体の翼の、あれはなんというのか、飛行機番号のようなものまで目視できる距離。「JA724」と書いているそれが、どこから羽田に向かっている飛行機なのか、調べてみたが、さすがに、どこから羽田に来る便かまではわからなかった。

川べりで少しぼーっとする。綿矢りささんの「わたしをくいとめて」を引き続き読む。終わりの無い日常の中で、一人で過ごすことの心地よさと、自分の中のもう一人と語ることの愉しみにある意味で依存する主人公が、他者と向き合いはじめていく。

「多田くんと付き合ったら、私の生活のなにが変わるんだろう」
「なにも変わらないよ、おれが隣にいるだけ」
「それなら、私にもできそう」
「できるよ」

そうはいっても、その直後に、他者との時間の共有に息苦しさを感じて、不安で押しつぶされそうになる。それでも、自分にこもらずに、せめて、目の前の好きと思えた人と向き合っていく主人公の姿。なんだかささやかな幸福を感じる読後感。

その後、寺田倉庫でやっていた「感覚する構造 – 力の流れをデザインする建築構造の世界 –」展を観る。専門的な知識があるわけではないものの、建築に関する展示は好きで、興味がある。日本各地のいくつかの建築物の模型の展示や、それらの建築家のインタビュー映像。その中で、日本建築の根本は『木の延長』と『洞窟』の構造の2種類である、という言葉は刺激を受けた。さらに、東日本大震災後、宮城県気仙沼市に、竹のみで建てられた「竹の会所」という集会施設についての語りの興味深さ。建築の知識のない、地元の若者を中心に、竹だけを使った集会所を作り、人が集うその場所で、祭りなどを行いつつ、地元の人たちが定期的に維持、改修に携わることで、共同体の集う場所として貴重な役割を果たしたという。竹という素材の魅力と、そういった建築が及ぼす地域、集団への影響。それ自体の素晴らしさ。

外にでるとすっかり日が暮れて、それでも、寒さはあまり感じない。ニュースによると、週末は真冬の寒さになるという。帰りの電車の中では、「今年はこれで最後かもね」みたいな会話がちらほら聞こえ出してきた。地元の神社では、酉の市の2日目。穏やかな賑わいを見せていた。

ゆっくりと、今年も暮れていく。