東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『展望デッキで飛行機を眺めながら』

朝、快晴。気持ちが良い。やや寝坊。娘と嫁は習い事があり出かける準備。娘に出かける前に、上履きなどを洗って干しておくように指示をする。僕は掃除機をかけたり、洗濯をする。それから床の水拭きなども。気持ちの良い日差し。こういう時は家事もはかどる。日中は真夏日になるという。確かになりそうな予感。

それから、僕も靴をいくつか洗う。こういう晴れる時に洗っておくに限る。娘が洗って干していたところに並べて干す。

それから仕事へ。事務所に行き、メール作業をしてからすぐに車で現場へ。とある用件で羽田へ。と、少々いろいろあり、待ち時間ができたので、羽田の駐車場に車を停めて、しばし休憩。どうせだったらと展望デッキへ行ってみる。観光の人が多い。僕は1人でぼんやり飛行機を見る。けたたましいエンジン音を立てて空へと飛んでいく。誰もが思うことだろうが、あれだけのでかい機体がなぜ浮くのだろう。馬鹿でかいエンジンの推進力により前へと向かうことにより、空気抵抗が飛行機の羽の上下で生じることで落ちないようになっていると言われて、その図は絵で説明されたこともあるのでなんとなく、頭では理解できているが、とはいえである、目の前であれほどの大きさの機体を見ているとやはり不思議に思う。

整備士の方々がそれぞれの仕事をこなしている姿も見える。飛行機がおりて、指定の停止場所へ向かうと、それを誘導するスタッフがおり、停止位置にぴたりと停まると、すかさずストッパーをかけたり、燃料を補給したり、荷物を機体から降ろしたりと、それぞれが、それぞれの役割を手際よくこなしている。その規則正しくもテキパキと動く姿がなんだか良い。

それから展望デッキのテーブルでパソコンを広げて仕事。まわりは観光の家族連れやカップルも多いけれど、一人で来ている方もちらほら。地元の人なのか、慣れた様子で椅子に腰を下ろし新聞を眺めている人もいれば、軽食と缶ビールを持って、ぼんやりと飛行機を眺める人もいる。それはそれで居心地の良いスペースなのだと思う。

日が暮れてくると、日中に暑さが嘘のように肌寒くなってくる。羽田は遮るものもなく、風が直接あたるからかもしれない。半袖だと少し我慢できない程。展望デッキから中へ入る。それほど気温は変わらなくても風が直接当たらないだけでほっとする。

宇佐美りんさん「くるまの娘」を読了。それにしても文体にうっとりとする。センテンスごとに、その言葉遣いに刺激を受けるし、どことなく漂う緊張感。血のつながりとは別に、自分が家族を見捨てずに、向き合わねばならないという宿命を抱く主人公であるかんこの、その感情描写の巧みさ。

曖昧になる。曖昧に、繰り返される。柔らかくぬるく、ありふれた地獄だった。互いに揉み合い、ひとりひとり数えきれない小さな悪事を重ねて、そのために落とされる。地獄でいっとう堪えるのは、ほんとうは、血の池の熱さや痛さでも、サンズの皮のほとりで石を積み上げるきつさでもないのかもしれないとかんこは思った。地獄の本質とは続くこと、そのものだ。終わらないもの。繰り返されるもの。

読み終えて一息ついて、ようやく仕事。羽田空港はあれだけいた人が20時を回るとさすがに、少なくなる。静かな空港はそれはそれで、良いものだと思う。

夜、帰宅。靴はすっかり乾いていた。夏のような心地いい日。湿度もなく快適だった。一番好きな暑さかもしれない。家に帰って筋トレ、それからマラソン。走れる時は走らねば。夜は少し冷え込む。