東京から月まで

東京在住。猫と日常。日々のことなど。

『プールと想像ラジオと』

一度、ふっと目が覚めるがまだ5時台だったので、もう一度寝る。そのあと、目が覚めたら9時になっていたので、慌てて、缶ゴミを捨てに行く。祝日シフトで幸い、まだ回収にきてなかった。

やることもあったけれど、午前中は余裕があったので、しばらくぶりにプールへ。地元の区民プール400円也。午前中に行ったものの、意外と混んでいた。平泳ぎやクロールで、ひたすら25メートルをいったりきたり。どの程度、泳いだか忘れたけど、1時間程度で、さすがに疲れる。試しに、25メートルを全力で泳いでみたら、23秒くらいかかった。ネットで調べると、未経験者の平均程度らしい。競泳選手の記録は11秒とかだという。ほんとかよ。僕が半分くらい泳いでいる間に着いちゃうのか。

プールを出てから、一度、家に帰り、少しばかりパソコン作業。それから、電車に乗る。あまり目的地があったわけではないのだけど、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」を読みながら、電車に揺られる。以前もこの日記にも引用していたが、人間は生きている者と、死んでいる者が、それぞれ影響を受けあいながら生きている。僕らは死んでしまった人たちからも影響を受けて、今を生きている。それは、あとがきの解説でも書かれている、樹木が、さながらら、外側の若い幹が、内側のすでに死んでいる部分を抱えながら生きているように。相互に影響しあっている。
https://tokyomoon.hatenablog.com/entry/2021/05/09/000000

ここ最近、50代や60代など、僕よりも10歳程度しか離れてない方の訃報を耳にすることがあり、打ちひしがれている。特に、癌などで辛い最期を向かえた方の記事を目にすると、死ぬことが怖いと感じる。死ぬことが怖いのではなく、死に至るまでの経緯か。例えば、眠るように、そして、そのまま、目を覚まさない、みたいな死に方ならば、それはそれ、と思えるような気もする。

そんなこんなで電車に揺られながら、「想像ラジオ」を読んでいたら、川越まで行き、それから、元町中華街まで行き、で渋谷に戻るという結果になった。

そういえば、その車中、元町中華街から乗ってきた人たちが、楽しそうに話をしている人が多かった。隣同士で世間話をしたり、4人くらいの集団が、向かい合いながら、座って、話をしたり。そういえば、コロナ前はこんな風に会話をしながら電車に乗っている光景が当たり前だった。ようやくそういう風景も日常に戻ってきたことがなんだかうれしかった。とはいえ、都内に近づくにつれて、静かにはなってきたけれど。

夜、仕事をしてから、帰宅。筋トレしつつ、バラエティを観て、就寝。